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Sidekick Lab
by Ichiro Murata

2026年の「最高画質」は、何で決まるのか?

2026年の高画素機で「最高画質」は何で決まるのか。三脚・低感度・F8・高速シャッターは全部必要なのか。GH6のノーマルとハイレゾをB0に伸ばして比べた経験から、出せる画質と写真に必要な画質は別だと気づいた話。

村田一朗|写真家・SideKick開発者

――出せる画質と、その写真に必要な画質は、別のものだった

高画素機を買って、最初に変わったこと

前の記事の最後に、レンズだけを答えにしなくなったとき、次の問いは「今の高画素のシステムで、レンズ以外に何が像を決めているのか」になる、と書きました。三脚か、感度か、絞りか、シャッターか。この記事は、その話です。

先に、読者が持っていそうな筋書きを書いておきます。高画素のカメラは、性能を出し切るのが難しい。三脚を立て、感度を一番下にし、絞りは F8 より開け、シャッターは速く、できればハイレゾモードで撮る。そこまでやって、初めて「最高画質」になる。——たぶん、そういう話を期待されていると思います。

私の側の話は、もっと素朴なところから始まります。

高画素のカメラに期待したものは、確かにありました。大伸ばしに耐えられるようになる。それは有ると思っていました。ただ、私の仕事は雑誌掲載が多い。雑誌のページに載せるだけなら、その画素数はもはやオーバースペックで、実質的に得られるものとしての期待値は無い、というのが正直なところでした。車で時速500Kmまで出せます!って言われても、そんなスペックが一般人には不要なのと同じ。そういう感覚です。

では、実際に使い始めて、最初に変わったのは何だったか。撮り方ではありませんでした。

単に「データサイズ、デカ!!」それだけ。

一枚のファイルが重い。HDD を圧迫する。高画素機になって私に最初に起きた変化は、それでした。

「もっと描写が変わると思ってた」

もう少し写真そのものの話をします。

高画素のカメラを使う前、私は、もっと描写が変わると思っていました。実際はどうだったか。単に細かいところまで記録されてるだけ。見た目が変わるわけじゃない。フィルムのころに 35mm から 6×9 に替えたときのような、次元が違う、という変化ではありませんでした。

砂地や新雪、木々の小枝や葉っぱ。そういうものは、確かに細かいところまで見えます。ただ、それは「同じ像が、より細かく刻まれて記録されている」ということであって、レンズが作る像そのものが変わったわけではない。ブレやピントについても、高画素だから特に差が出た、という経験は私にはありません。

もう一つ、大きく伸ばす機会は、私にもありました。K-1 の作例は CP+ で大伸ばしにして展示されたりしました。写真展のような場では、高画素はそれなりに意味があると思います。では、2,400 万画素では写真展で見劣りするか、と聞かれると、区別はつかないと思う、というのが私の答えです。個人的には、一般的なプリントサイズ——B0 程度なら大差ないと思っています。大きくなるにつれて、差は出るだろうけど。

安いキットレンズで撮った写真がメーカーの人を驚かせた話は、前の記事に書いたので、ここでは繰り返しません。

ここで一度、答えを出します

「2026 年の最高画質は、何で決まるのか」と聞かれたら、今の私はこう答えます。

カメラが出せる画質の上限では決まらない。その写真に必要な画質を先に決めて、三脚も、感度も、絞りも、シャッターも、合成も、そこへ配分したときに決まる。

これは、高画素が無意味だという意味ではありません。上限は、確かに大きく上がりました。記録できる細かさは、私がデジタルを使い始めたころとは比べものになりません。ただ、その上限をどこまで使うかは、写真の側が決めます。雑誌のページか、モニターか、B0 のプリントか。動くものか、止まっているものか。深く写したいのか、浅く写したいのか。それを先に決めない限り、「最高画質の設定」というものは、実は存在しない。

資料の側から言えることも、先に書きます。今の高画素機の画質は、光の量、レンズと絞り、ピントとブレと支持、センサーの刻み方、その後の処理、そして出力と見る条件——この全部の段が順に効いて決まります。どこか一段の数字を最良にしても、別の段で失ったものの多くは戻りません。この連載では、それを「配分」と呼ぶことにします。これはこの連載の言い方であって、写真の世界で昔から使われてきた用語ではありません。

読者が想像した筋書き——三脚・最低感度・F8 以下・高速シャッター——は、だから「必要条件のリスト」ではなく、「それぞれ、効く条件と効かない条件を持った道具の一覧」として読み直すことになります。順に見ていきます。

三脚・感度・絞り・シャッターは、「必要」なのか

私の撮り方の出発点を書いておきます。基本的には ISO100、絞り F8、絞り優先、三脚必須。これがデフォルトです。ただし、ポートレートや星景ならデフォルトが違う。そして、その後は、その撮影でどう撮りたいのか?最終的な絵を前提に設定を変える。絞りが浅い方が良いか、深い方が良いか。その結果、ブレそうなら感度を上げる。

逆に、スローシャッターにしたいのに ISO100 で足りなければ ND フィルターを使う。それでも足りないときは、拡張感度の ISO50 や F22 まで使う。どちらも代償があることは知ったうえで、です。拡張感度については別の記事で、私が基本的に使わない理由を書きました。それが普段の話で、ここで書いているのは、必要な写真がそれでしか撮れないときの例外の話です。

高画素になって、このデフォルトを変えたか。特に何も変えていません。極論すれば、4x5の頃と変わっていない。

高画素ではブレが目立つ、という話はよく聞きます。私の理解では、それは半分だけ正しい。ちょっとでもブレたら確かに判る方向ではある。100% 表示で見れば、同じブレが、より細かく刻まれて見えるからです。ただ、ブレそのものは、画素数とは関係なく起きています。カメラが動いた量、被写体が動いた量、露光時間。それが同じなら、像の上のブレは同じで、画素が細かくなったから大きくなるわけではありません。細かい画素は、すでにあるブレを、細かく見せているだけです。

だから私は、こう思っています。高画素かどうかは、あんまり関係ない。じゃあ、高画素じゃなければ適当に撮っていいか?となりかねない。撮り方の基準を、画素数で変える理由がないのです。

三脚については、こうです。ポートレートとか、スナップとか、運動会とか、そういう撮影でなければ、基本的には三脚を使います。手持ちのときは、手ブレも被写体ブレもしないシャッター速度を選んで撮る。三脚をきちんと使えば、まずブレることはない。三脚を使ったのにブレるのは、三脚が華奢だったり、レリーズを使っていなかったり、ちゃんと撮っていないことが原因です。強風のときは、三脚に据えたうえで、体で抱え込んで撮ります。4×5 のころと同じです。4×5 で通用していた撮り方が、デジタルでうまくいかなかったという経験を、私はしていません。

ただ、ここは資料の側の言い方も添えておきます。三脚が効くのは、止まっている被写体に対してです。動くものは三脚では止まりません。風や共振、設置にかかる時間は、三脚の側の代償です。「三脚を使えば最高画質」という言い方は、だから成り立ちません。同じことを、光を集める側から書いた記事が別にあります。星のように動くものを止める話も、別の記事に書きました。

手ぶれ補正についても、一つだけ。三脚に載せるときは手ぶれ補正を OFF にする。私にとってはこれが定石です。最近は三脚を使うと手ぶれ補正が自動で OFF になる機能が入っている機種もありますが、そうでないと、手振れ補正機能がブレ発生装置に早変わりする。——と、私は言ってきました。正直に付け加えると、これは実際に経験したことでもあり、定石として知っていたことでもあります。ただ、いつ、どのカメラで、と聞かれると、もう覚えていない。はっきり手ぶれ補正のせいだと区別できるわけでもない。再現性があまりないからです。手ぶれ補正を ON のまま三脚とレリーズで撮ると、ブレる率が上がる。あくまでも体感で、数値化も証明もむずかしい。それでも、わざわざリスクのある撮影方法を取り入れる必要を感じない、というのが私の結論です。メーカーの説明書を見ても、三脚でも手ぶれ補正を有効にすることを勧めつつ、三脚や撮影条件によっては OFF の方がよい場合がある、と条件付きで書いているものがあります。つまり、どちらが正しいかは条件次第で、機種にもよる。私は安全側を選んでいる、ということです。

「4×5 のころと変わっていない」は、撮影の段の話です。三脚を立て、レリーズを使い、風なら体で押さえ、最終的な絵を先に決める。そこは同じです。その後ろ側——記録の細かさ、処理、保存、そして 100% 表示という検査の仕方——は、はっきり変わりました。変わっていないのは、決め方の方です。

絞りの例——「撮っていなければ、料理のしようがない」

「配分」の意味を、一つの例で書きます。絞りです。

F22 まで絞ると、100% 表示では像が甘くなることを、私は知っています。前の記事で書いたとおり、それは 100% で見たときの話で、プリントで確かめたわけではありませんが、甘くなる方向にあること自体は理解したうえで撮っています。

それでも、私は F22 を使います。表現上、1 秒のシャッター速度で撮りたいのに、絞りを使わないと 1/8 秒までしか落とせなかったら、どうするか。撮影を諦めるしかない。それよりも、絞って撮れた方が良い。

撮っていなければ、料理のしようがない。

これが、私にとっての優先順位です。絞りの理屈——収差と回折がどう釣り合うか、なぜ途中にピークが出るか——は、「F8 が一番よく写る」の記事「2〜3 段絞ると」の記事に書いたので、ここでは繰り返しません。ここで言いたいのは、F22 が良いか悪いかではなく、一つの画質の変数を最良にすることより、必要な写真が撮れていることの方が先だ、ということだけです。撮れていない写真は、後からどう処理しても作れません。

上限を試した——B0 に伸ばした、三通りの GH6

上限の話を、B0 のプリントで実際に試したことが、一度あります。

数年前、LUMIX の依頼で、GH6 で検証をしました。GH6 のノーマルの撮影、GH6 のハイレゾモード、そして Photoshop のスーパー解像度で縦横 2 倍にしたもの。この 3 通りを、同じ場面から作って、B0 に伸ばして比べる、という検証です。撮ったのは上高地、バスターミナル付近の梓川沿いから、対岸を撮ったものでした。基本的には木々の枝や葉っぱ。細かさが出るはずの被写体です。

プリントは、大船にあるハズイさんにお願いしました。10 年以上のお付き合いがある店で、実際にプリントをする人と 1〜2 時間打ち合わせをして、用途と趣旨を説明したうえで出してもらいました。

本音を言えば、私は、ノーマルは一瞬で判ると思っていました。

モニターで見たときは、実際そうでした。ノーマルだけ解像感が劣ってた。ハイレゾとスーパー解像度は、モニター上では区別がつかなかった。

見てもらったのは、30 年くらいお付き合いのある山岳写真の会の公開セミナーです。会員だけでなく、一般の人も参加できる場でした。セミナー中は遠目でしか見られないので、質疑応答がある程度終わった後に、プリントを間近で見てもらいました。もちろん、手にしてみてくれた人も居ました。大きいけどね。どれがどれかは、もちろん伏せました。番号だけ振って、良いと思う順を言ってもらう。一番悪いのが判りやすいから、それだけ答えてもらうのもアリにして。

でも、当てられなかった。

何十人かに見てもらって、誰も見分けがつかなかった。私自身もです。まったく区別がつかなかった・・・プリントでは。

ハズイさんでは、モニターとプリントの両方を見て、さらに 1〜2 時間話をしました。プロの現場の意見としても、「わからないね」でした。流石に、私より区別できてたけど。

その時点で私が思ったのは、今のプリントでは差が出せない、ということでした。

ここで、大事なことを書いておきます。これは依頼仕事の中でやった、一回の比較です。見る距離も、紙も、条件も揃えた実験ではありません。だから、この一回で「大伸ばしでも画素数の差は出ない」と言えるわけではありませんし、ハイレゾモードやスーパー解像度に意味がない、と言いたいのでもありません。私が言えるのは、私が何を期待し、モニターで何を見て、B0 のプリントで何が起きたか、それだけです。ハイレゾモードには、合成なので被写体がブレやすい、撮影に時間がかかる、という別の代償もあります。それも含めて、一枚の写真にどう配分するかの話です。

差は、どこに写るのか——見る条件の話

なぜモニターでは差が見えて、プリントでは見えなかったのか。その原因を、この一回の比較から特定することはできません。ただ、一般論として、見る条件が差の見え方をどう変えるかは書けます。

同じ一枚の画像でも、100% 表示で見るとき、画面に合わせて縮小して見るとき、B0 に伸ばして手に取って見るとき、会場の後ろから見るとき——同じ細部が、目の中でどのくらい細かい縞として届くかは、表示倍率と見る距離で決まります。100% 表示は、画素を一つずつ画面の点に対応させる見方なので、画素が細かい画像ほど、同じ像を大きく拡大して見ていることになります。ノーマルとハイレゾを 100% で並べれば、ハイレゾの方は 2 倍の倍率で見ているのと同じです。逆に、B0 のプリントを 2 m 離れて見れば、同じ細部は、50 cm で手に取って見るときの 4 分の 1 の大きさで目に届きます。距離を変えると、ノーマルもハイレゾも同じ比で動き、二つの差そのものは変わりません。その差が意味を持つかどうかは、目が拾える範囲がどこにあるかで決まる。そして、その範囲は、人によって、光によって、被写体によって動きます。決まった境目の数字は、ありません。プリントの上で細部がどこまで見えるかについては、測られた研究がまだ無い、というのが調べた範囲での答えです。

概念図。二段構成。上段はモニターで見る場合。100% 表示では画素を画面の点に一対一で対応させるので、画素数の多い画像(ハイレゾやスーパー解像度)は同じ細部を二倍の大きさで見ていることになる。画面に合わせた表示では、どちらの画像も同じ画面の画素数に縮小される。下段は B0 プリントを 50 cm、1 m、2 m から見る場合。各距離に、ノーマル(約 2,500 万画素)とハイレゾ/スーパー解像度(約 1 億画素)の二本の横棒で、画素の格子が目の中でどこまで細かく届くかを、目盛りのない対数軸に示す。距離を二倍にすると両方の棒が同じだけ右へ動き、二本の差は常に二倍のまま。横軸の中ほどに、目が拾える細かさの目安を、端のぼやけた帯で示す。帯の幅は人・コントラスト・照明・被写体・出力条件で動き、決まった境目はない。数値は本文の補足にある。測定値ではない。

100% 表示が検査の条件であって鑑賞の条件ではないこと、プリントが実際にどこから見られるかについては、「あなたの許容錯乱円はいくつ?」に書いたので、ここでは繰り返しません。

ハイレゾモードや、いわゆるピクセルシフトの合成についても、同じ分け方が要ります。止まった被写体と、しっかりした支持と、時間があれば、それらは単写より多くの情報を記録できます。それは撮影の側の話です。その差が、選んだ出力で見えるか、意味を持つかは、別の話です。私の B0 でどうだったかは、上に書いたとおりです。

「差はある」と「頭打ち」は、同じ話

フィルムのころは、アナログだったせいもあったのか、どこか一つ変えると、肉眼で見て分かることが多かったと思います。デジタルの初めのころは、1〜2 年で性能が倍になったりしたので、差が出ました。今は頭打ち状態で、団栗の背比べになってる。フルサイズとマイクロフォーサーズを混ぜて使っても問題ない程度には。今のデジタルは、ほぼやることをやり切って、これ以上、高画質化できるところが無いんだと思う。

一方で、私はさきほど「大きくなるにつれて、差は出るだろう」とも書きました。矛盾しているように見えるかもしれませんが、私の中では同じ話です。昔ほど騒ぐ必要が無くなった、ということです。よくよく見れば、差はある。B0 とかに伸ばせば。でも、大騒ぎするレベルで無くなって来てるって事。

資料の側の言い方にすると、こうなります。同じ出力の条件で見る限り、記録の細かさを増やしたときに見える利益は、だんだん小さくなっていく。ただし、それは「差がない」でも「進歩が止まった」でもありません。トリミングをするとき、将来もっと大きく出すかもしれないとき、記録として残すとき——用途が変われば、その細かさは使われます。差は実在し、同時に、今の私の用途では決め手にならない。両方が同時に成り立っています。

私にとっての「高画質」

では、私にとっての線はどこか。

私が大伸ばしをするとして、B0 がコストを考えると現実的な最大サイズです。当面、このサイズにプリントするのに大きな弊害が無ければ、解像度などを追おうとは思いません。データの保存量として HDD を圧迫したくない、というのもあります。

「高画質」を一言で言うと何か、と聞かれたら、今の私はこう答えます。

発色と言うか色調が自分の好みか?色や輝度のトーンが豊富か?写真に立体感が有るか?

そして、「高画質な写真になった」と判断するとき、最後に何を見ているか。

雰囲気だと思う。

さきほど「よくよく見れば、差はある」と書いた私が、最後に見ているのは、別のものです。解像度を軽く見ているのではありません。ただ、写真ができたと判断する瞬間に見ているのは、細部の数ではない、ということです。

「何で決まるのか」への、私の答え

2026 年の「最高画質」は、何で決まるのか。

カメラが出せる画質の上限では決まりません。上限は、確かに上がりました。私が高画素機を使って変えたのは、撮り方ではなく、データの置き場所でした。三脚を立て、レリーズを使い、風なら体で押さえ、最終的な絵を先に決めて、そこへ感度と絞りとシャッターを配分する。決め方は、4×5 のころと変わっていません。変わったのは、上限の高さと、どこまで細かく見えるか、です。

その写真に必要な画質は、写真の側が決めます。雑誌のページなのか、B0 なのか。動くのか、止まっているのか。深く写すのか、浅く写すのか。それを決めたとき、三脚も、感度も、絞りも、シャッターも、合成も、置き場所が決まります。そして、撮れていない写真は、後からは作れません。

では、撮ったあとに、RAW で直せるものと、直せないものは何か。撮れていなかったもの、止まらなかった動きは、後から作れるのか。それは次の記事で書きます。

ここから先は、もう少し詳しく知りたい人へ

この記事で必要な結論は、ここまでで完結しています。ここから先は、本文で短く済ませたところの根拠と、分かっていないことを、もう少し細かく見たい人への補足です。新しい主張はありません。

同じ一枚が、目に届く細かさ

本文の図の数字です。GH6 のノーマルは 5,776 × 4,336 画素、ハイレゾモードの最大は 11,552 × 8,672 画素、Photoshop(Camera Raw)のスーパー解像度は縦横 2 倍で、同じく 11,552 × 8,672 画素になります。B0(日本で一般的な JIS の B0 は 1,030 × 1,456 mm、ISO の B0 は 1,000 × 1,414 mm。私のプリントがどちらだったかは確認していません)に 4:3 の画像を短辺で合わせると、画像の長辺はおよそ 1.33〜1.37 m。ノーマルは 1 mm あたり約 4.2 画素(約 107 ppi)、ハイレゾとスーパー解像度は約 8.4 画素(約 214 ppi)です。

この画素の格子が、どのくらい細かい縞として目に届くかは、見る距離に比例します。目の中の細かさを「1 度あたりの縞の数」で表すと、ノーマルの格子の限界は、50 cm で約 18、1 m で約 37、2 m で約 73。ハイレゾとスーパー解像度はその 2 倍です。100% 表示は、この換算とは別に、画素を画面の点に一対一で対応させる見方なので、画素数の多い画像ほど大きく拡大されて見えます。

注意しておきたいのは、これは「格子がどこまで細かく届くか」であって、「細部が見えるか」ではないことです。見えるかどうかは、そこまでの段——レンズ、ピント、ブレ、大気、合成や推定、プリンタと紙——がその細かさにどれだけのコントラストを残しているかで決まります。人の目が拾える細かさにも、決まった一つの数字はありません。視力の数字は視力表の定義であって、写真の細部が見える境目ではありませんし、条件によって数倍動きます。プリントの上でどこまで見えるかを測った研究は、調べた範囲では見つかっていません。

手ぶれ補正の「段数」は、試験条件の値

手ぶれ補正の「何段分」は、CIPA の規格(DC-011-2024)で定められた条件——決められた振動と焦点距離、ブレの判定基準(旧規格の 63 µm から 20 µm へ変更)——で測った値です。たとえば GH6 の「7.5 段」は、規格準拠で、焦点距離 60 mm(35 mm 判換算 120 mm)、特定のレンズを使ったときの値と注記されています。風、三脚との共振、シャッターショック、被写体の動き、他の焦点距離での保証ではありません。三脚に載せたときに手ぶれ補正を有効にするかどうかについても、メーカーの説明書には、三脚では有効を推奨しつつ「三脚によっては、撮影条件次第で OFF の方がよい場合がある」「レンズによって設定が異なる」と条件付きで書かれている例があります(Nikon Z8 のオンラインマニュアル)。

ハイレゾとスーパー解像度は、同じ画素数でも中身が違う

GH6 のハイレゾモードは、イメージセンサーをずらしながら連続で撮影し、カメラ内で合成して最大約 1 億画素の画像を作る機能で、手持ちにも対応しています。Photoshop(Camera Raw)のスーパー解像度は、一枚の画像から、縦横 2 倍(総画素 4 倍)の画像を推定して作る機能です。出来上がる画素数は同じでも、片方はセンサーの位置をずらして実際に記録した情報を足しており、もう片方は一枚の中身から推定しています。多枚合成は、止まった被写体、しっかりした支持、合成の条件を前提にしており、動き、風、大気のゆらぎ、明るさの変化で破綻することをメーカー自身が案内しています。また、合成後の名目の画素数が、その画素数の一枚撮りと同じ「実効的な細かさ」を意味するわけではありません。ここでは、それ以上の仕組みの話には立ち入りません。

データ量と保存

記録の細かさを増やせば、ファイルの大きさはそれに比例して増えます。RAW のビット深度や圧縮の有無で係数は変わりますが、方向は変わりません。保存とその長期的な再現性は、2026 年のシステムでは、撮影の段と同じくらい実務的な代償になっています。本文で最初に書いた「データサイズ、デカ!!」は、その意味で、この記事の最初の結論でもあります。

「配分」という言い方について

本文で「配分」と呼んだものは、この連載の分析の枠組みで、写真の世界に昔からある用語ではありません。光の量、レンズと絞り、ピント・ブレ・支持、センサーの刻み方、処理、出力と見る条件を、一列の段として見て、どの段で何を失い、何を戻せないかを整理する、という考え方です。この連載の親記事で、1995 年と 2026 年を同じ枠で並べるときに、あらためて説明します。