――同じ被写体で比べたわけではない。それでも、私が通った経路は、あの日から変わった。
100 万円を用意して、D1 を買った
前の記事は、ポジの原版をホームページ用にスキャンしたところで終わりました。スキャンした画像は「ボヤボヤ」で、それが原版のせいなのか、スキャナーのせいなのか、私の無知なのか、当時の私には切り分けられなかった。この記事は、その続きです。撮る側まで含めて、全部がデジタルへ移った話。
2000 年になるかならないかのころ、私はニコンの D1 を買いました。ボディだけで 65 万円。レンズも、バッテリーも、RAW を扱うソフトも、記録メディアも要ります。必要なものを調べて、お金を用意して、全部で 100 万円を超えました。現金で払いました。
周囲からは、そんなオモチャに 100 万円も出すなんて、というようなことをずいぶん言われました。私の周囲では、D1 をまだ「オモチャ」のように見る人も少なくありませんでした。
それでも、フィルムの方がまだ上だと思っていた
ここで先に言っておきます。私は、D1 の方がフィルムより高画質だと思って買ったのではありません。
でも、フィルムをきちんとプリントすれば、この時点ではまだフィルムの方が上だと思っていました。
では、なぜ買ったのか。この記事は、その問いに答えます。
ここで一度、答えを出します
私が比べたのは、フィルムの性能と D1 の性能ではありませんでした。私が実際に通っていた経路と、知人が実際に通っていた経路を、同じ出口で比べたのです。
私の側から言えることは、こうです。私の経路——ポジを現像に出し、受け取り、スキャンし、ゴミと傷を一つずつ取り、A4 に出す——と、知人の経路——D1 で撮り、転送し、同じ A4 に出す——を並べたとき、知人の出力の方がシャープで、ゴミも傷もなく、私が 1 週間ほど見ておきたかった作業が、数分で終わっていました。だから私は、デジタルは確実にフィルムに追いつくし、追い抜く可能性がある、と見ました。フィルムの方がまだ上だと思ったまま、D1 を買ったのです。
資料の側から言えることは、こうです。D1 は 1999 年 6 月に発表され、9 月末に発売されました。カメラの中で JPEG を作れたので、専用のソフトを通さずに画像を扱えました。報道の現場では、現像と電送にかかっていた時間が消えることが価値でした。一方で、スキャナーの公称の細かさは読み取れた細部の量ではなく、シャープネス処理は別の工程で、私が使っていたころのエプソンのフラットベッドスキャナーには、ゴミや傷を自動で消す機能はありませんでした。そして、どの経路でどれだけ画質が変わったのかは、資料からは分かりません。この記事でも、それは言いません。
比べたのは、山のポジと、東京の街の D1 だった
知人が D1 を買った、と聞いて、フィルムをスキャンしたデータと D1 のデータのどちらが綺麗か、という話になりました。
はっきり書いておきます。これは比較テストではありませんでした。私は自分の部屋で、自分の山の写真——たぶん 6×9 か 6×12 のベルビアです——をスキャンして、そのファイルを持って行きました。知人の D1 の写真は、二人で東京の街を歩きながら、知人が撮ったものです。被写体が違い、撮る人が違います。知人が付けていたレンズも、JPEG で撮ったのか RAW だったのかも、覚えていません。
同じだったのは、出口です。知人の事務所——小さな出版社でした——にあった業務用のカラーレーザープリンターで、両方を A4 に出しました。機種は覚えていません。
比較前の私は、「絶対自分の方が綺麗」と思っていました。結果は、そうではありませんでした。
スキャンは、ボヤボヤで、ゴミだらけだった
D1 の出力の方が良く見えた点は、二つです。一つは、シャープさ。もう一つは、ゴミと傷が無いこと。
私のスキャン画像は、前の記事に書いたとおり「ボヤボヤ」でした。今から振り返れば、使える状態にするには強いシャープネス処理が要るような、輪郭の立たない見え方です。当時の私には、なぜそう見えるのかが分かりませんでした。今も、私のあのスキャンについて、原因がどれだったかは分かりません。
資料の側から言えることは、こう書けます。スキャナーの「1 インチあたり何点」という数字は、取り込みの升目の細かさであって、読み取れた細部の量ではありません。このことは「4×5 は何万画素?」の記事に書きました。そのうえで、レンズ、ピント、ガラス面、フィルムの平面性——いくつもの要因で、スキャンは原版より眠く見えることがあります。眠く見えたからといって、原版の情報が少なかったことにはなりません。
ゴミと傷の方は、もっと単純でした。フィルムの面に付いているものは、そのまま像として写ります。私はそれを、一つずつ手で消していました。使えるファイルになるまでに、それだけの手間がかかりました。
「アンシャープネス? それって、シャープネスを落とすフィルター?」
スキャンしたあとにシャープネス処理が要ることを、当時の私はまったく知りませんでした。
レタッチソフトのメニューに「アンシャープマスク」という項目があるのは見ていました。本当にこう思っていました。アンシャープネス? それって、シャープネスを落とすフィルター?
名前のせいです。アンシャープマスクは、暗室の技法から来た言葉です。原版に、わざとぼかした——アンシャープな——マスクを重ねて焼くと、大きな明暗は打ち消し合い、細かい輪郭だけが相対的に強調される。「アンシャープ」なのはマスクの方で、結果はシャープになります。デジタルのソフトも同じ原理で、ぼかした複製との差分を足して輪郭を強めます。
ただし、シャープネス処理が取り戻すのは、途中の工程で弱くなった輪郭の見え方です。原版に無かった細部を作ることはできません。私のスキャンが眠く見えたことは、原版に細部が無かったことの証明にはなりません。私がシャープネス処理という工程を知らなかったことも、要因の一つだったはずです。どの要因がどれだけだったかは、分かりません。
同じ A4 のカラーレーザーで、何が分かって、何が分からなかったか
もう一つ、はっきりさせておきます。事務用のカラーレーザープリンターの A4 出力は、写真の最終的な画質を測る場ではありません。
カラーレーザーは、トナーの点で濃淡を作ります。連続階調のプリントではなく、細部も階調も、プリンターの側で決まる範囲に収まります。同じプリンターに両方を通したので、差の見当は付きました。知人のものは、当時の私の言葉で言えば、アタリを付けるには十分でした。しかしそれは、フィルムの最大の画質でも、D1 の最大の画質でもありません。
あの日、私は知人の出力の方が綺麗だと思いました。しかしそれを「D1 の方が高画質だ」という結論にはしませんでした。私が出した結論は、「私の経路では、D1 の経路に勝ち目がない」でした。
一週間が、数分になった
勝ち目がない、の中身は、画質だけではありませんでした。
私の経路は、こうです。撮ったフィルムを現像に出す。受け取りに行く。スキャンする。ゴミと傷を一つずつ取る。データを整えて、使う。私はこの経路に、少なくとも 1 週間ほどは見ておきたかった。これは私の見積もりで、誰かが測った数字ではありません。
知人の経路は、こうです。D1 で撮る。画像を転送する。ほぼそれで終わり。私の記憶では、数分でした。
比較のあと、私はすぐに動きました。1〜2 か月というのは、迷っていた期間ではありません。初めて D1 を見てから、何が要るか——レンズ、バッテリー、RAW 現像のソフト、その他の機材——を調べて、お金を用意して、手元に来るまでにそれだけかかった。私としては、できるだけ早く買ったつもりです。
図1:当時、私が実際に通った二つの経路。左はフィルム——Velvia 6×9 / 6×12 で撮る(記憶)、現像に出す、受け取る、スキャンする、ゴミと傷を一つずつ取る。右は D1——知人が東京の街で撮る、データを転送する。どちらも同じ事務用の A4 カラーレーザー(機種は不明)で出力した。段の数と種類を示す図で、優劣の矢印ではない。画質比較の実験図ではなく、被写体も撮る人も違う。本サイトの整理。
1999 年の D1 は、何だったのか
ここで、資料の側から D1 を置いておきます。
ニコン D1 は 1999 年 6 月 15 日に発表され、9 月末に発売されました。ボディの標準価格は 65 万円。当時のフラッグシップのフィルム一眼レフ F5 の 2 倍で、それまでのプロ用デジタル一眼レフが数百万円だったことを考えると、その数分の一の価格でした。画像は 2,000×1,312 ピクセル。JPEG をカメラの中で作れ、TIFF と 12 ビットの RAW も選べました。RAW を扱うには別売のソフトが要りました。
ニコン自身の回顧では、D1 の価値がいちばんはっきり出たのは報道の現場です。フィルムの現像と電送にかかっていた時間が消え、撮った場で確認でき、締め切りぎりぎりまで撮れる。同じ回顧は、初期の D1 のノイズを弱点として挙げています。ノイズと光の量の関係は、「ISO を上げるとノイズが増える」の記事に書いたとおりです。
私は報道写真家ではありません。山を撮り、作品を作る側です。それでも、私が知人の事務所で見たものは、報道の現場で起きていたことと同じ種類のものでした。最大の画質の勝負ではなく、経路の勝負です。
追いつく、と思った
ここまでを、まとめ直します。
フィルムの方がまだ上だった。整理すると、こうなります。フィルムはまだ勝てた。しかし、勝ち続けられるとは思えなくなった。——これは、この連載の側の言い方です。当時の私の言葉に近い形で言えば、こうです。デジタルは確実にフィルムに追いつくし、追い抜く可能性がある。これは、あのときそう見た、ということを、今の私が言い直したものです。
「D1 がフィルムに勝った」とは、当時も今も思っていません。あの比較は、被写体も撮る人も違い、出口は事務用のプリンターでした。それでも、経路の差は、それだけの条件でも十分に見えました。
D1 を買ったあとも、フィルムはすぐには消えませんでした。1 年ほどは、4×5 と、6×9 や 6×12 と、D1 を並行して使っていました。ある日を境にフィルムを捨てた、という話ではありません。
画質を決める場所が、動き始めた
最後に、この出来事を、この連載の見方で置き直します。
フィルムの経路では、画質を管理する場所が、撮影のあとにいくつもありました。現像所、原版そのもの、スキャン、ゴミ取り、出力。前の記事に書いたとおり、原版は写真集の元にも写真展のプリントの元にもなり、経路ごとに残るものが違いました。
D1 の経路では、そのうちのいくつかが消え、いくつかが別の場所へ移りました。現像所は要らなくなり、原版という物が要らなくなり、スキャンとゴミ取りが要らなくなった。代わりに、センサーと、カメラの中の処理と、RAW 現像と、モニターと、デジタルの出力が、画質を決める場所になりました。私の感覚で言えば、フィルムが RAW 現像ソフトに置き換わったようなもので、プロラボがやっていたところを自分がやらないといけない。それが、ここで始まったことです。
「画質を決める場所が動いた」というのは、この連載の整理の仕方であって、当時そういう言葉があったわけではありません。デジタルになって画質の管理が消えたのではなく、場所が変わった。それが、この記事の答えの、資料の側の言い方です。
では、撮る側までデジタルになったとき、画質はどこで決まるようになったのか。レンズはそのままなのに、レンズに求められるものは変わりました。それは次の記事で書きます。
ここから先は、もう少し詳しく知りたい人へ
この記事で必要な結論は、ここまでで完結しています。ここから先は、本文で短く済ませたところの根拠と、分かっていないことを、もう少し細かく見たい人への補足です。新しい主張はありません。
D1 の記録形式と、当時の評価
D1 の記録形式は、圧縮率の違う 3 段階の JPEG、RGB と YCbCr の TIFF、12 ビットの RAW です。記録メディアはコンパクトフラッシュ(Type II)で、本体には付属しませんでした。IEEE1394 で接続し、RAW を扱うには別売のソフト「Nikon Capture」(5 万円)が要りました。発表時の専門誌の評は、カメラの中で JPEG を作れるため「ごく普通のデジタルカメラと同じ感覚でデータが扱える」点を、それまでの業務用機——独自形式で記録し、パソコン側で専用ソフトを通す必要があった——との違いとして挙げています。知人が比較に使った画像が JPEG だったか RAW だったかは、分かりません。
スキャナーの公称の細かさと、眠さについて(一般論)
製版用のスキャナーについては、取り込みの細かさ(ppi)、読み取りの開口、拡大率、シャープネス処理が別々の量であることを前の記事の補足に書きました。消費者向けのフラットベッドスキャナーに透過原稿ユニットを付けて 6×9 や 6×12 を読む場合も、同じことが当てはまります。加えて、レンズと CCD の解像、ピント面とフィルムの位置のずれ、フィルムの反り、ガラス面での散乱、スキャナー側のシャープネス処理の有無が、それぞれ輪郭の見え方に効きます。私のスキャナーの機種名、設定、ソフトの既定のシャープネスがどうだったかは、覚えていません。だから私のあの「ボヤボヤ」がどの要因によるものだったかは、この記事では特定しません。
私のスキャナーについて覚えているのは、エプソンのフラットベッドで、透過原稿ユニットを付け、SCSI で接続し、20〜30 万円ほどした、当時のエプソンの最高級クラスだった、ということです。買ったのは 1997 年か 98 年ごろで、D1 を見た時期より前です。多数のソフトが付いていました。
アンシャープマスクの由来
アンシャープマスクは、暗室で原版に、わざとぼかした低コントラストのマスクを重ねて焼く技法が起源です。マスクがぼけているので、大きな明暗はマスクと原版で打ち消し合い、細かい輪郭の情報だけが残って、プリントの鮮鋭感が上がる。デジタルのアンシャープマスクは、ぼかした複製との差分を元画像に足す処理で、量・半径・しきい値で制御します。スキャンした画像に使うのが慣用で、掛けすぎると輪郭に縁取りが出たりノイズが増えたりします。取り戻せるのは工程で弱くなった輪郭のコントラストであって、原版に無い細部を作る処理ではありません。
ゴミと傷、自動除去の時期
フィルムの面のゴミ、傷、カビ、指紋は、透過光を遮ったり散らしたりするので、スキャンではそのまま像になります。これを自動で検出して補正する機能は、消費者向けでは 1998 年 4 月発売のニコンのフィルムスキャナー LS-2000(35mm と APS、198,000 円)が初期の例で、キズ・ホコリ・カビ・指紋を検知して自動補正する機能を載せていました。のちに「Digital ICE」の名で知られる方式です。エプソンのフラットベッドスキャナーにこの機能が載ったのは 2003 年 10 月の GT-X800 が最初です。私が使っていた 1997〜2000 年ごろのエプソンのフラットベッドには、この種の自動除去はありませんでした。手で一つずつ消していたのは、そのためです。
事務用のカラーレーザーについて
事務用のカラーレーザープリンターは、トナーの点の大きさや配置で濃淡を作る方式で、連続階調の写真プリントとは別のものです。細部と階調は、点の細かさと、プリンター側の色変換と、紙で決まります。同じプリンターに二つの画像を通せば相対の差の見当は付きますが、その差はプリンターの限界に条件づけられたものです。知人の事務所のプリンターの機種、解像度、用紙は覚えていません。
出典
ニコン D1 の発表日・発売時期・価格・記録形式・記録メディア・インターフェイス・別売ソフトは、1999 年 6 月 15 日の発表を伝えた専門誌の記事と、同年 9 月の製品版の記事、およびニコンの企業情報ページ「D1:プロの現場を、デジタルの時代へ」によります。報道現場での価値、ノイズが弱点だったこと、F5 の 2 倍の価格、当時のプロ用機が数百万円だったことは、同ページ(ニコン自身の回顧)によります。ニコン LS-2000 とエプソン GT-X800 の発売時期・機能は、それぞれ 1998 年と 2003 年の専門誌の記事によります。アンシャープマスクの由来は写真技術の一般的な文献によります。私の経路、比較の状況、時間、費用、その後の併用は、私の記憶です。
分かっていないこと
この記事で、分からないこととして扱ったものをまとめておきます。比較したフィルムが 6×9 だったか 6×12 だったか。知人の D1 のレンズと記録形式。カラーレーザーの機種と解像度。私のスキャナーの機種名、設定、ソフトの既定のシャープネス。私のスキャンが眠く見えた要因の内訳。D1 を初めて見た日、比較した日、買った日。100 万円超の内訳。フィルムと D1 を並行して使っていた期間の正確な長さ。そして、当時の日本の風景写真家のうち、どれくらいがこの時期にデジタルへ移ったか。
この記事の範囲
この記事の資料は、メーカーの企業情報と、発表当時の専門誌の記事と、スキャナーの技術資料の言葉であって、測定値ではありません。私の経験は、山岳写真を撮る一人の写真家が、自分の部屋のスキャナーと知人の事務所のプリンターで見たことです。それは、フィルムと D1 の性能を比べた実験ではありません。「フィルムの方がまだ上だった」は当時の私の理解であり、「追いつくし、追い抜く可能性がある」は当時の私の見立てです。どちらも、資料がそう言っているのではなく、私がそう見た、ということです。資料の側の「どの経路でどれだけ変わったかは分からない」は、そのまま残してあります。