――ノイズが増えた。その原因は、本当にISOなのか?
暗い。シャッターが遅すぎる。ISOを上げる。撮れた写真を見ると、ノイズが増えている。
だから、ISOを上げるとノイズが増える。
写真を撮る人なら、たぶん誰でもこの順番で覚えます。私もそうでした。「高感度ほど粒子が荒れる」という感覚はフィルムの時代からあって、私はそれをいつ、どこで知ったのか思い出せないほど、当たり前のものとして受け止めていました。デジタルになっても、疑ったことは一度もありません。高校から大学のころオーディオに凝っていた私には、小さな信号を大きく増幅すればノイズが問題になる、という感覚が身についていましたから、なおさらです。少ない光を増幅する。ノイズが増える。当たり前だ、と。
その私が、今回AIを使って、この当たり前をあらためて調べてみることにしました。
結論を先に言えば、この常識は「たいてい当たっている」のですが、当たり方が私の思っていたものとは少し違っていました。
そのとき、同時に何が変わっていたのか
最初の場面を、もう一度ゆっくり見てみます。
私たちがISOを上げる場面では、多くの場合、二つのことが同時に起きています。
一つは、センサーが受け取る光の量が少なくなっていることです。そもそも場所が暗い。手ブレを避けるためにシャッターを速くする。被写界深度を確保するために絞る。理由はさまざまですが、どれもセンサーに届く光を少なくします。ISOを上げたくなるのは、たいていこういうときです。
もう一つは、ISOの数字を上げていることです。少ない光で撮った暗い画像を、見られる明るさまで持ち上げる。
「ISOを上げたらノイズが増えた」と言うとき、この二つはほとんどいつも一緒に起きています。だから、ノイズが増えた原因がどちらにあるのかは、分けて考えないと分かりません。
図1:暗い場所などでは、「届く光が少ない」ことと「ISOを上げる」ことが同時に起こりやすい。しかし、この二つは別の変化である(概念図)。上の列は光の話、下の列はISOの話で、ISOの側で何が起きるかはカメラの設計やモードで違う。二つの列は原因と結果ではなく、同じ場面で同時に起きている別々のことである。
この記事は、この二つを分けて考えます。
光が少ないと、何が起きるか
先に、光の側から見ます。
光は粒でやってきます。光子と呼ばれる粒が、露光時間の間にセンサーの一つ一つの画素に飛び込んでくる。その数が、画像の明るさになります。
ここで大事なのは、粒の数にはばらつきがあるということです。同じ明るさの場所を撮っても、隣の画素より少し多く飛び込む画素と、少し少ない画素が必ず出ます。この「ばらつき」が、光そのものが持っているノイズです。
そして、粒の数が少ないほど、このばらつきは相対的に目立ちます。光の量が減るほど、ノイズは目立っていく。これは光の性質そのものであって、カメラの設定とは関係なく起きます。
つまり、ISOの数字を一切触らなくても、光が少なければノイズは目立つのです。
場所が暗かった。シャッターを速くした。絞った。その時点で、ノイズが目立つ条件はすでに整っていました。
(光が半分になるとどのくらい目立つのか、数で見たい方のために、記事の後半に図を置いてあります。)
同じ光で、ISOだけを上げたら
では、ISOの側です。
こんな実験を考えてみます。カメラを三脚に載せて、絞りもシャッター速度も同じにしたまま、ISOだけを上げる。
センサーに届く光の粒の数は、変わりません。絞りとシャッターが同じなのですから、当然です。粒の数が変わらなければ、粒のばらつき、つまり光そのもののノイズも変わりません。
変わるのは、画像の明るさです。
ISOを上げると、暗く記録されるはずだった画像が明るく持ち上がります。そのとき、それまで暗くて見えなかったノイズも一緒に持ち上がって、見えるようになる。ノイズが新しく生まれたのではなく、隠れていたものが見えるようになっただけ——少なくとも光のゆらぎについては、そう言えます。
ここで一度、答えを出します
「ISOを上げるとノイズが増える」——光の少ない場面でISOを上げる、いつもの撮り方をしている限り、この観察はたいてい当たっています。
けれども、ノイズが目立った主な原因は、ISOという数字ではありませんでした。少ない光でした。ISOは、それを見えやすくしました。
私の「入ってくる光が少ないのに、それを増幅すればノイズが増える」という感覚は、今にして思えば、二つのことを一つの言葉で言っていました。「入ってくる光が少ない」——ここは正しく押さえていました。ノイズが目立つ主な原因は、まさにそれです。「増幅すればノイズが増える」——こちらは、少し違いました。
ISOを上げたとき、そもそも光が足りなかった。ここまでが、この記事のいちばん大事なところです。では、ISOそのものは何をしているのでしょう。
では、ISOは何をしているのか
大ざっぱに言えば、ISOを上げるというのは、少ない光で暗く写る画像を、見える明るさまで持ち上げることです。前の節で見たとおり、それだけでは光そのもののノイズは増えません。
ただし、実際のカメラでは、ISOを変えると、増幅や読み出しのやり方まで変わることがあります。そのため、同じ光でISOだけを上げたときに何が起きるかは、カメラやモードによって違います。機種によっては、暗部のノイズが相対的に小さくなることがあります。一方で、明るい側の余裕——白飛びまでの距離——が減ることもあります。どうなるかはカメラの設計次第で、一つの法則にはなりません。
私の経験で言えば、この「カメラによる」は、かなり実感のあるものです。Nikon D2Xを使っていたころ、ISO400程度まで上げると、ノイズで「クリスマスイルミネーションか?」と言いたくなるような画になりました。次のD3では、ISO6400でも大きな問題はありませんでした。同じ「ISOを上げる」でも、カメラが違えば起きることが違う。これは私の経験であって、この二機種の性能を測った話ではありませんが、その差は忘れられません。
だからといって「ISOは関係ない」わけでもありません。上げれば隠れていたノイズは見えるようになりますし、機種によっては余裕が減ることもあるのですから。
(増幅の中で何が起きているのか、私たちが見ている「ノイズ」は何なのか、といった細かい話は、記事の後半にまとめました。)
では、撮影ではどうすればいいのか——光を集められるかが先
光を集められるなら、まず光を集める。集められないなら、必要なISOまで上げる。
ノイズが目立つ主な原因が「光が少ないこと」だとすれば、順番はこう決まります。ISOを下げるのはその結果であって、目的ではありません。
三脚に載せてシャッターを長くできるなら、ISOを下げて光を多く集めるほうが、ノイズは目立たなくなります。ただし良くなった理由は「ISOが低いから」ではなく「光が増えたから」です。
逆に、光をこれ以上集められない場面があります。手持ちでシャッターを遅くできない。動く被写体を止めたい。星を点に写したい。こういう場面でISOを下げても、光は増えません。画像が暗くなるだけです。そこで必要なのは、必要なISOまで上げることです。
なお、露光時間を長くすればするほど良くなる、というわけでもありません。長時間露光では熱によるノイズや輝点が別に増えてきます。星景の露光時間の話は別の記事に書きました。
私自身の運用は、こうです。基本はベース感度のISO100で、三脚を使います。三脚を使うことがほとんどなので、通常はこれで困りません。手持ちでなければならない場面では、ISOを上げたほうがよければ上げます。上限は機種によって変えています。「常に低いISOを使え」という意味ではなく、そこから先は撮影の状況を見て考えます。
「低いISOで暗く撮っておいて、現像で明るくする」という撮り方は、私は基本的にしません。それと高いISOで撮るのとでは何が違うのか——これは機種によって答えが変わる話なので、ここでは深入りしません。では、ISOは低いほど高画質なのか。その問いは、次の記事「『ISOは低いほど高画質』は、本当なのか?」で調べました。
Auto ISOは、私は普段は使いませんが、街撮りや流し撮りのように、ISOをその場その場で変えたほうがよい撮影では積極的に使います。その場合も、ボディ側でISOの上限は決めておきます。大事なのはAuto ISOを使うかどうかではなく、ISOを変えると何が起きるのかを知った上で使うことだと、私は思っています。
私は今も、必要ならISO25600で撮る
私の星景写真の撮り方では、ISO100では写りません。私は状況によって、ISO12800やISO25600も使います。
私の言葉で言うと、こうなります。
「ノイズは当然増えるが、写らないと意味がない。ノイズは将来、何か対策する手立てが出てきてもおかしくないが、写ってないものはボツでしかない。」
これは私の撮影判断であって、物理の話ではありません。星景では露光時間を長くできないので、光をこれ以上集められない。だから必要なISOまで上げる。上げれば当然、ノイズは目立ちます。それでも、写っていない写真より、ノイズのある写真のほうがいい。私はそう判断しています。
今回調べ終えた後も、私のISOの使い方は今まで通りです。私が今回学んだのは、「光が少ないこと」と「ISOを上げること」を、別々に考える必要があるということでした。撮影の現場ではいつも同時に起きるので、私は数十年、分ける必要を感じませんでした。それで撮れていたのですから、それはそれでよかったのだと思います。ただ、分けて考えられるようになった今、ISOを上げるときに私が見ているのは、ISOの数字ではなく、そこにある光の量です。
光を集められるなら、まず光を集める。集められないなら、必要なISOまで上げる。
写ってないものはボツでしかない。
ここから先は、もう少し詳しく知りたい人へ
撮影で必要な結論は、ここまでで完結しています。ここから先は、上で「設計次第」「別の話」と省いたところを、もう少し細かく分けて見たい人への補足です。新しい主張はありません。
何が変わり、何が変わらないか
| 比べ方 | 届く光の粒とそのゆらぎ | 増幅・読み出し(読み出しノイズの見え、ハイライトの余裕) | 画面で見える粒 |
|---|---|---|---|
| (a) 同じ光で、ISOだけ上げる | 変わらない | 設計次第(増幅の前後で乗るノイズの位置による。余裕は減ることがある) | 明るくなるぶん見えやすくなる |
| (b) 光が少ない場面で、ISOを上げる(そもそも暗い/シャッターを速く/絞る) | 粒は減り、ゆらぎが目立つ | 設計次第 | 目立つ |
| (c) 同じ光で撮り、明るさを揃えて比べる(低ISOを持ち上げる vs 高ISO) | 変わらない | 設計次第(先に増幅したか、後で明るくしたかで違う) | 設計次第 |
| (d) カメラJPEGで比べる | — | 処理次第 | 処理次第(ノイズ低減が強いほど滑らかに見えるが細部も減る) |
表1:何が変わり、何が変わらないか。「変わらない」「減る」は光のゆらぎについて計算で言えること、「設計次第」はカメラの増幅・読み出しの設計やモードによって結果が違うこと、「処理次第」は現像・表示の処理によって見え方が違うことを表す。どの行も、すべてのカメラに当てはまる一つの答えではない。
光が半分になると、どれくらい目立つか
本文で「粒の数が少ないほど、ばらつきは相対的に目立つ」と書いたことを、数にするとこうなります。届く光の量が半分になると、ばらつきに対する信号の比は約0.7倍に下がります。4分の1になれば半分です。光の量が減るほど、なだらかにノイズが目立っていきます。
図2:センサーに届く光の量が半分、4分の1、8分の1になると、光のゆらぎに対する信号の比は約0.71、0.50、0.35に下がる(√の関係)。光のゆらぎだけを考えた計算値で、読み出しノイズ・回路ノイズ・白飛びは含まない。横軸は光の量であって、ISOではない——ISOの数字を触らなくても、光が少なければこの変化は起きる。
増幅の前と後
本文では「実際のカメラでは、ISOを変えると増幅や読み出しのやり方まで変わることがある」と書きました。何が違うのかを、もう一段だけ分けます。
まず、理想的な増幅器は、入ってきた信号もノイズも、同じ倍率で大きくします。信号が2倍になればノイズも2倍。両者の比は変わりません。だから、増幅そのものが新しいノイズを作るわけではないのです。理想的な増幅だけを考えるなら、同じ光で撮った画像は、ISOを変えても信号とノイズの比は同じになります。
ただし、実際のカメラは「理想的な増幅だけ」ではありません。センサーから信号を読み出す回路には、それ自体のノイズがあります。この読み出しノイズが、増幅の前に乗るのか後に乗るのかで、結果が変わります。増幅の後ろで乗るノイズは、先に信号を大きくしておけば相対的に小さくなる。逆に、記録した後でデジタル的に明るくすれば、後ろで乗ったノイズもそのまま一緒に大きくなる。どこで増幅するかが効いてくるのです。
だから、同じ光でISOだけを上げたとき、機種によっては暗部の読み出しノイズが相対的に小さくなることがあります。一方で、ISOを上げると、明るい側の余裕——白飛びまでの距離——が減ることがあります。ここから先は上げても暗部は良くならず、余裕だけが減る、そういう範囲を持つカメラもあります。
これらがどう振る舞うかは、カメラの設計次第です。ISOに対して読み出しノイズがなめらかに変わる機種もあれば、ある値で不連続に変わる測定例もあります。一つの法則にはなりません。
見えているのは、何のノイズか
「ノイズが増えた」と言うとき、私たちが見ているのは何でしょうか。
光の粒のばらつき、読み出し回路のノイズ、RAWファイルに記録された数値のばらつき、そして現像や表示を通った後に画面で見える粒状感。これらは、同じものではありません。私たちが「ノイズ」と呼んで見ているのは、いちばん最後の、処理を通った後の見え方です。
カメラが作るJPEGは、撮影と現像を合わせた結果です。高いISOでは、カメラは自動的にノイズ低減を強くかけることが多い。だから滑らかに見えるのですが、そのとき細部も一緒に削られています。滑らかなJPEGだからノイズの少ないセンサー、とは言えないのです。RAWで撮っていても、最終的に私たちが画面で見るまでには、現像と表示の処理を通ります。ノイズが「見える」かどうかは、どこで、どの大きさで見るかでも変わります。
フィルムの粒子と、デジタルのノイズ
「高感度は粒子が荒れる」というフィルム時代の常識は、デジタルのノイズとどうつながっているのか。
デジタルカメラの「ISO」という数字は、フィルムの感度と同じ露出の感覚で使えるように決められました。ISO100のフィルムで撮っていた人が、デジタルでもISO100と設定すれば、同じ絞りとシャッターで同じような明るさの写真が撮れる。そのために、数字の意味をフィルムから引き継いだのです。
「高感度は粒子が荒れる」というフィルム時代の説明と、「高いISOではノイズが増える」というデジタル時代の説明は、非常によく似ています。初期のデジタルカメラの説明書も、その連続した語彙で説明していました。高いISOではノイズが増え、シャープさが落ちる、と。
ただし、仕組みは同じではありません。フィルムの粒子が荒れる理由と、センサーのノイズが目立つ理由は、別の話です。今回調べた範囲では、この常識がどこで始まったのか、一つの出典を特定することはできませんでした。言えるのは、フィルム時代の説明の語彙が続いていたこと、初期のデジタルカメラで実際に高ISOの画質が厳しかったこと、その両方が今の常識を形作るのに関わったのだろう、というところまでです。
ついでに言えば、フィルムの時代にも、高感度でありながら細かい粒子を売りにした製品はありました。感度と粒状の関係は、フィルムでさえ一本の法則ではなかったのです。