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Sidekick Lab
by Ichiro Murata

「フィルムは階調が豊か」とは、何だったのか?

「フィルムは階調が豊か」と言われたとき、写真家は何を見ていたのか。新緑の黄緑から深緑までの途中、新雪の光から陰まで。階調はダイナミックレンジでもビット数でもなく、一つの数字ではなかった。1990年代にポジで撮っていた私が、資料と自分の経験から調べ直します。

村田一朗|写真家・SideKick開発者

――新緑の黄緑から深緑まで。私は、その途中に何を見ていたのか。

新緑の、黄緑と深緑のあいだ

新緑を撮るとき、私が見ていたのは「緑」ではありませんでした。

出たばかりの葉は黄緑です。少し開いた葉は緑になり、日を浴びた葉は深緑へ、去年からの古い葉はもっと暗い色をしています。一本の木の中に、それだけの色があります。

ただ、私が写真で気にしていたのは、色が何種類あるかではありませんでした。黄緑から緑へ、緑から深緑へ、その途中が、間を飛ばさずにつながって見えるか。当時の言い方だと「グラデーションがきれいにつながっているか」です。

新雪の、光と陰のあいだ

もう一つ、よく見ていたのが新雪です。

降ったばかりの雪に光が当たると、輝いている部分と陰になっている部分ができ、その間に、少しずつ暗くなっていく雪の面があります。輝きから陰まで、微妙な変化が途中を失わずに続いて見えるか。ここにも「階調」を見ていました。

新緑では色の移り変わりを、新雪では明るさの移り変わりを見ていた、と言えば近い。ただしこれは私がそう見ていたという話で、どちらにも両方が混ざっています。

私が「階調が豊か」と感じていたもの

こういう写真を見て、私は「階調が豊か」と感じていました。

付け加えておきたいのは、階調が豊かというのは、明暗がはっきりしているという意味ではなかったことです。パリッとしていてメリハリが効いてしまっている写真は、私にとってはむしろ駄目でした。黄緑と深緑の差が強調されて面ごとに切り分けられると、途中が消えます。かといって差がなくなれば、それも違う。差は見える、しかし間も見える。私が見ていたのは、そういう状態でした。

とくに新緑について言えば、この感覚は、私には輝度というより彩度の側の話でした。同じ緑の中の、わずかな鮮やかさの違いが、切れずにつながっているか。

こういう階調を一番強く感じたのは、ライトボックスの上に置いたポジの原版でした。この話には後で戻ります。

ここで一度、答えを出します

では「階調が豊か」とは、何だったのか。ダイナミックレンジのことなのか。ビット数のことなのか。

どちらでもありません。

「階調」は、一つの物理量の名前ではありませんでした。フィルムの技術資料には、露光量に対して像がどう変わるかを示す曲線と、その傾きという、測り方のある核がありました。同時に、写真家が「階調が豊か」と言うときには、ポジやプリントや印刷の上で最終的に見えた写真の、いくつもの性質をまとめて呼んでいる場合がありました。私の新緑と新雪が、まさにそれです。

だから、昔の「階調」を今の「ダイナミックレンジ」に置き換えても、「ビット数」に置き換えても、合いません。2026年の言葉で考えるなら、複数の要素に分けて考える必要があります。その分け方は、あとで書きます。

前の記事で、「4×5フィルムは何万画素?」という問いに一つの数字で答えられない理由を書きました。この記事は、その続きです。「階調」という一つの言葉は、一つの数字に置き換えられるのか。

資料の中の「階調」には、測り方があった

まず、当時の資料の側から見ておきます。

フィルムには、露光量を変えたときに像の濃さがどう変わるかを表す曲線があります。特性曲線と呼ばれるものです。1998年の富士フイルムの技術報告では、一つのフィルムについて、ハイライトからシャドーまでの領域ごとに、この曲線の傾きをどう設計したかが書かれています。中間からハイライトの階調を軟らかくして、肌の色の再現を良くする、という具合です。設計する側にとって「階調」は、曲線の傾きという測れるものでした。

一方で、資料の中で階調は、他の項目とは別に扱われています。同じ1998年の別の技術報告は、プリント上で好ましく見えるための「画像階調」と、記録できる範囲とを別項目として書き、1987年の複写技術の資料は、「濃淡の自然さ」を階調再現、「細部の明瞭さ」を解像力として、粒状性とも分けて並べています。階調は、解像力でも粒状性でもない、独立した一項目でした。

製品の言葉にもあります。1983年に発売されたフィルムについては、富士フイルムの社史が「豊かな階調の再現」を挙げ、1990年のベルビアのカタログには「深みのある色調描写」「優れたシャドー描写」が、粒状性や解像力とは別々に並んでいます。これは定義ではなく、メーカーがそう言って売っていた、という記録です。

ただし、当時の写真家がどのくらい広くこの言葉をこの意味で使っていたのかは、今回調べた範囲では分かりません。分かっているのは、設計する側には測り方があったこと、資料の中で階調は他の画質項目と分けられていたこと、製品の言葉として「豊かな階調」が1980年代の製品について使われていること、までです。

一つの言葉を、六つに分ける

では、写真家が見ていた「階調が豊か」を、今の言葉で考えるにはどうすればいいのか。本サイトでは、一つの言葉を次の六つに分けてみます。当時の定義ではなく、本サイトの整理です。

概念図。「階調が豊か」という一つの言葉から、同じ太さの矢印で六つの要素へ:記録できる範囲(どこからどこまで写るか)、明るさの写り方の曲線(暗い側と明るい側の変化の付き方)、細かな明暗差の分離(輝きから陰までの途中)、細かな色の差の分離(黄緑から深緑までの途中)、ハイライトとシャドーの見え方(どう頭打ちになり、どう沈むか)、出力と鑑賞(どこで、どんな光の下で見るか)。六つは同じ大きさのカードで、順序・優劣・数値は描いていない。注:粒状やノイズは、それぞれの要素の見え方に関わる。本サイトの整理であり、当時の定義ではない。

図1:「階調が豊か」という一つの言葉を、六つの要素に分けて考える。どれが上という順序はなく、当時の定義でもない。本サイトの整理。

一つ目は、記録できる範囲。どれだけ暗いところから明るいところまで写るか。今の言葉ではダイナミックレンジが近い。ただし範囲であって、その中での写り方ではありません。二つ目は、明るさの写り方の曲線。同じ範囲でも、暗い側と明るい側で変化の付き方が違います。資料の「特性曲線の傾き」はここです。

三つ目は、細かな明暗差の分離。新雪の輝きから陰までの途中です。四つ目は、細かな色の差の分離。新緑の黄緑から深緑までの途中です。五つ目は、ハイライトとシャドーの見え方。一番明るいところと暗いところが、どう頭打ちになり、どう沈むか。

六つ目は、出力と鑑賞。同じ原版でも、ライトボックスか、プリントか、印刷か、画面か、どんな光の下で見るかで、上の五つの見え方が変わります。

粒状やノイズは、この六つのどれかというより、それぞれの見え方に関わります。細かな差があっても、粒やノイズがそれを覆えば、途中は見えません。ダイナミックレンジは一つ目、ビット数はあとで書くように「刻みの細かさ」の話で、どちらも階調そのものではなく、要素の一つです。

六つを覚える必要はありません。「階調」という一つの言葉の中に、違う話が混ざっていると分かれば十分です。

ネガとポジは、同じ話ではない

「フィルムは」とひとまとめに言うとき、見落としやすいことがあります。ネガとポジでは、階調を見る対象が違います。

ネガは印画紙に焼いて初めて写真になります。ネガの曲線の傾きはわざと緩く作られていて、印画紙の側がそれを補って、最終的なプリントの階調ができる。ネガと印画紙は一組の仕組みです。

ポジ(リバーサル)は、現像したそのものが写真です。ライトボックスで見る、映写する、製版に回す。曲線の向きもネガとは逆で、露光が多いほど透明に近づきます。だから、ネガで言われる「明るいところが肩のように頭打ちになって粘る」という挙動を、ポジにそのまま当てはめることはできません。ポジで明るすぎれば、そこは透明に抜けます。

「フィルムはハイライトが粘る」という言い方は今も聞きますが、これはネガの肩の話と、プリント側の調整と、デジタルの頭打ちとの対比とが混ざったものと考えられます。この記事で私が書く経験は、ポジの話です。

ポジ原版と、プリントと、写真集

さっき後回しにした話に戻ります。

私が階調を一番強く感じたのは、ライトボックスの上のポジの原版でした。それをダイレクトプリントにすると、私には、何次元かレベルが落ちるように見えました。グラデーションが、とびとびになる感じです。写真集や雑誌の印刷になると、さらに途中が抜けたように感じました。

これは私にそう見えた、という話です。ポジ原版が上で印刷が下だと、測って言っているのではありません。

当時、言われていた言葉があります。「写真集を見て、自分のほうがいい写真を撮っていると、間違っても思うな」。ここでの「いい写真」は、かなりの部分、階調のことでした。写真集に載っている写真は原版そのものではなく、印刷を通った結果を原版の品質だと思って比べてはいけない。そういう実務の上での戒めだったと、私は受け取っています。

概念図。同じ一枚のポジ原版(ライトボックス)から、同じ太さの矢印で三つの経路へ:ダイレクトプリント(変わり得るもの:紙・反射)、印刷・写真集・雑誌(網点・紙・インク)、スキャンして画面(画面の明るさ・表示)。三つは最後に「見る(光・大きさ・距離)」で合流する。三つは経路の例で、順序・優劣・劣化の段階は描いていない。本サイトの整理。

図2:同じポジ原版でも、プリント、印刷、画面と、どの経路を通ってどこで見るかで、階調の見え方は変わり得る。どれが上という順序や、劣化の段階を示す図ではない。

これは、前の記事で書いた「どこで測るかで数字が変わる」と同じ構造です。原版から先には、プリントの紙、印刷の網点とインク、画面の明るさがあり、最後にそれを見る光と大きさと距離があります。私が「階調が豊か」と感じていたものは、フィルムの中だけで決まるものではなく、この経路の終わりで見えた結果でもありました。ルーペで良く見える原版が大きく伸ばすと平板に見えることがある、と富士フイルムが2015年の回顧記事に書いているのも、許容錯乱円の記事の「どこから、どの大きさで見るか」とつながります。

デジタルへ——版画のように見えた最初の写真

私が最初に使ったデジタルカメラは、ニコンのD1ではありません。その前に、富士フイルムのコンパクトデジタルカメラ、FinePixを使っていました。

FinePixの写真は、私には、フルカラーの版画を見ているように見えました。ペタッとした二次元のもの。写真というより、絵を見ている感じ。立体感が、皆無でした。

D1になって、初めて「ちゃんと写真だ」と思いました。FinePixとは、立体感がまったく別次元でした。

誤解されやすい点を書いておきます。この差は、シャープネスの差ではありませんでした。D1はパリッとはしていなくて、かなり甘かった。それでも、FinePixとD1で違ったのはシャープさではなく立体感で、甘さはその差に比べれば些細なことでした。

では、なぜFinePixは版画のように見え、D1は写真に見えたのか。センサーか、記録の刻みか、画像処理か、別の何かか。私の経験だけからは分かりません。原因は分からないまま、シャープさと立体感は私の中で同じ軸ではなかった、ということだけを書いておきます。

いま「階調」と言うなら

2026年に「階調が豊か」という言葉を使うなら、一語のまま比べないほうがいい、というのがこの記事の結論です。

デジタルで階調と一緒に出てくる数字に、ビット数があります。8ビットなら256、14ビットなら16,384の値を使える。ただしこれは「使える数値の目盛りの数」であって、肉眼で256段、16,384段の階調が見えるという意味ではありません。目盛りが細かくても、ノイズがそれを埋めれば見えないし、目盛りをどんな曲線で明るさに割り当てるか、何で表示し、どんな光の下で見るかで、見える段は変わります。「14ビットだから階調が豊か」は、単純化しすぎです。

ダイナミックレンジも同じで、それは「記録できる範囲」です。範囲が広いことと、その範囲の中で明るさや色の途中がきれいに見えることは、別の話です。

だから、今「階調」を語るなら、六つの要素のどれの話をしているのかを決めてからにしたい。そうすれば、フィルムとデジタルのどちらが上か、という勝負にはなりません。要素ごとに、条件を決めて、見るだけです。

階調の先にあるもの——立体感と空気感

最後に、この記事では答えを出さない問いを一つ書いておきます。

私がポジの原版で「階調が豊かだ」と感じた写真のなかに、「階調は豊かだが立体感がない」と感じたものは、思い当たりません。FinePixとD1で違ったのも、立体感でした。そして最近になって、パナソニックのGH6で、またこの感覚に出会いました。それ以前に使っていた機材では、どこかペタッとした二次元感を感じることがありました。ところがGH6では、立体感のさらに上に「空気感」と呼びたくなるものがありました。

上高地で、梓川越しに対岸の木々を撮ったときのことです。画像を見ると、木々の前後関係が、肉眼で見ているような錯覚として感じられました。前後関係というより、そこに空気がちゃんとある感じ、と言ったほうが近い。

階調、立体感、空気感。私の経験では、この三つは続けて感じられました。しかし同じものだとは思っていませんし、階調が豊かだから立体感が出る、という因果も、この記事では言えません。この三つは本当に技術的につながっているのか。それは、別の記事で調べます。

結局、私が新緑を見ながら「階調が豊かだ」と感じていたとき、見ていたのは黄緑と深緑という二つの色ではなく、その途中でした。その途中は、記録できる範囲の広さでも、数値の目盛りの数でもなく、どこでどう見たかまで含めた、つながりの見え方でした。一つの数字にはなりません。その途中が立体感や空気感とどう関係するのかは、まだ分かっていません。

ここから先は、もう少し詳しく知りたい人へ

この記事で必要な結論は、ここまでで完結しています。ここから先は、本文で言葉だけで済ませたところを、もう少し細かく見たい人への補足です。新しい主張はありません。

特性曲線——足と、直線と、肩

フィルムの特性曲線は、横軸に露光量の対数、縦軸に濃度を取った曲線です。ネガフィルムでは露光が増えるほど濃度が上がり、曲線は三つの部分に分けて呼ばれます。露光の少ない側で立ち上がりの鈍い「足(toe)」、中央の「直線部」、露光の多い側で伸びが鈍る「肩(shoulder)」です。コダックの感光度測定の教本では、被写体の暗い部分は足に、明るい部分は肩に「落ちる」と説明されています。曲線の形は、露光だけでなく現像液、時間、温度、攪拌、そしてカラーフィルムなら色の層ごとに変わります。

傾き——ガンマ、コントラスト指数、平均勾配

曲線の傾きには、いくつかの測り方があります。直線部の傾きをガンマと呼び、決められた二点間の傾きをコントラスト指数や平均勾配と呼びます。傾きが大きいほど、露光の差が濃度の差として大きく出ます。本文で触れた1998年の富士フイルムの技術報告は、一つのフィルムについて、ハイライトからシャドーまでを領域ごとに分けてガンマを設計し、中間からハイライトの階調を軟らかくして肌色の調子再現を良くした、と書いています。「階調設計」とは、この領域ごとの傾きの設計のことでした。ただし、この一つの製品の設計思想を、フィルム一般の定義にはできません。

ラチチュード

ラチチュードは、コダックの教本の定義では「画質に大きな影響を与えずに変えられるカメラ露光の幅」です。特性曲線の全体の長さの中に、被写体の明るさの幅を置いたときの余りが、露出を外してよい幅になります。これは撮影時の露出の許容幅の話で、記録できる範囲そのものでも、階調の滑らかさでもありません。

ネガと印画紙は、一組の仕組み

同じ教本によると、ネガフィルムの曲線の傾きは1.0よりかなり低く、典型的には0.45から0.65程度に作られています。露出の許容幅を広げるためです。その低い傾きを補うために、印画紙の傾きは1.0より大きく、号数によって1.5から3.5程度になっています。ネガの階調は、ネガ単体ではなく、この組み合わせの結果として現れます。リバーサルフィルムの曲線は、ネガの曲線の鏡像のような形です。露光の少ない側で濃度が高く、多い側で透明に近づきます。カラーのリバーサルにはオレンジのマスクがなく、三つの色の層の曲線はほぼ重なります。

ダイナミックレンジ

ダイナミックレンジは、あらかじめ決めた飽和の基準とノイズの基準の間の範囲のことで、どの基準を取るかで数字が変わります。デジタルカメラのノイズを扱う規格(ISO 15739)のダイナミックレンジは、飽和とSN比の基準に依存する、比較的狭い定義の量です。フィルムのラチチュードとは定義が違うため、両者の数字を直接並べることはできませんし、どちらも、本文で書いた歴史的な「階調」の定義ではありません。

ビット数と、量子化

nビットで使える値は2のn乗個です。8ビットで256、14ビットで16,384。これは符号の数であって、見分けられる階調の段数ではありません。同じビット数でも、値を明るさに直線的に割り当てるか、人の目の感度に合わせて非直線的に割り当てるかで、段差の見え方は大きく違います。1998年に書かれた、映像技術者向けのよく知られた解説(Charles Poyntonの「ガンマについてのFAQ」)は、こう説明しています。人は約100対1の明るさの範囲の中で、およそ1パーセントの明るさの差を見分けられる。この範囲を段差なく埋めるには、直線的な割り当てなら約9,900個、つまり約14ビット分の値が要るが、非直線的な割り当てなら約460個、約9ビットで足りる。放送用の8ビット映像は、約50対1の範囲でならこの割り当てで十分だ、と。この数字は一つの解説の中の目安であり、「人間には460階調しか見えない」という意味ではありません。見える段の数は、割り当ての曲線と、表示の明るさの範囲と、ノイズで変わる、ということの例です。

粒状性とノイズ

フィルムの粒状性は、決められた開口で濃度のゆらぎを測った数値(RMS粒状度)で表されます。前の記事で書いたとおり、粒子は画素ではなく、粒状性はデジタルのノイズとも測り方が違います。ベルビア50の資料に載る値は9です。粒状性は階調を作りませんが、細かな明暗差や色の差が見えるかどうかには関わります。差があっても、ゆらぎのほうが大きければ、途中は見えません。

ハイライトとシャドー

明るい側と暗い側の挙動は、ネガ、リバーサル、デジタルで別々に考える必要があります。ネガでは、明るい側は曲線の肩に入り、濃度の伸びが鈍ります。それが印画紙を通してどう見えるかは、プリントの側で決まります。リバーサルでは、明るい側は透明に近づくので、肩の「粘り」という話はそのままでは当てはまりません。デジタルでは、明るい側は飽和で頭打ちになり、暗い側はノイズに埋もれていきます。その後、どんな曲線で明るさに割り当てるかで、見え方が変わります。「フィルムはハイライトが粘る」という言い方が何に由来するのかは、今回調べた範囲では分かりません。少なくとも、ネガの肩で説明できる挙動を、ポジやデジタルとの比較へそのまま一般化することはできません。

出力と鑑賞

原版をどう見るかにも、決まりがあります。透過原稿を見るための観察装置は色温度や明るさや均一性が規定され、反射原稿、透過原稿、映写を区別する規格(ISO 3664)もあります。印刷では網点、紙、インクが階調を変えます。プリントの階調は、印画紙の曲線と紙の反射と照明で決まる別の変換です。本文の「ポジ原版とプリントと写真集」は、私の目にそう見えたという話でしたが、経路ごとに変換が違うこと自体は、こうした規格や資料に書かれています。

昔の言葉と、今の言葉

最後に、本文で分けた要素と、当時の言葉との対応を整理しておきます。当時の技術資料の「階調」は、特性曲線とその領域ごとの傾きに最も近く、これは今の言葉なら「明るさの写り方の曲線」です。プリントや印刷の「階調」は、出力側の変換の話です。「豊かな階調」「深みのある色調」「奥行き」といった製品や作品評価の言葉は、複数の要素が混ざった結果を指していて、一つの量には対応しません。ダイナミックレンジ、ビット数、ラチチュードは、それぞれ別の量であって、どれも「階調」の言い換えではありません。この対応づけ自体が本サイトの整理であることは、本文と同じです。