――良いレンズを買っても、写真はまだ写っていなかった。ピントグラスからフィルムまでの話。
良いレンズを買っても、写真はまだ写っていなかった
前の記事で、大判レンズが何を目指して設計されていたかを書きました。イメージサークルも、解像力も、コントラストも、色も、レンズが作れる像の話でした。けれど、レンズが像を作った時点では、写真はまだできていません。
私の原版の中には、真っ黒なコマがあります。フィルムの前を覆う引き蓋を抜き忘れて、シャッターを切ったコマです。真っ白なコマもあります。レンズのシャッターを開けたまま、引き蓋を抜いたコマです。レンズは何も悪くありません。像はちゃんとピントグラスに結んでいたはずです。それでもフィルムには、何も写っていない。
極端な例です。でも、レンズが作った像がフィルムに残るまでのあいだには、ピントグラスがあり、アオリがあり、フィルムを差し込むバックがあり、三脚と風があり、そして私自身がいます。良いレンズと、精度の高いカメラと、細かい粒子のフィルムを揃えても、そのあいだのどこかで像は失われることがある。では、大判の高画質を支えていたのは、レンズだけだったのか。この記事は、レンズが作った像がフィルムに残るまでの経路を、順に歩いていきます。
ここで一度、答えを出します
レンズだけではありませんでした。大判の高画質は、レンズが作った像を、ピントグラスで見て、アオリとピントを行き来させて面を置き、ピントグラスと同じ位置にあるはずのフィルムに受け渡し、三脚で支え、風をやり過ごし、引き蓋を抜いて巻き上げる——その全部が通ってはじめて、フィルムの上に成立するものでした。
1980 年代のジナーの資料や、ホースマン、リンホフ、トヨの取扱説明書は、その一つひとつを「管理すべきもの」として書いています。ホルダーを奥まで差すこと、ピントのあとにレールを固定すること、アオリのあとにピントを取り直すこと、蛇腹を長く伸ばしたときに支えを足すこと、明るい空の光をフードで切ること。ただし、それを怠ったときに画質がどれだけ落ちたのか、当時の写真家がどれだけ守っていたのかは、資料からは分かりません。この記事でも、その大きさは言いません。
私にできるのは、私の場合にその経路で何が起きていたかを書くことです。繰り返す失敗は、手順と機材の側へ追い出していきました。それでも、風のように、私にはどうにもならないものが残りました。
像は、まずピントグラスに現れた
蛇腹のカメラ——大判カメラ——には、ファインダーがありません。レンズが結んだ像は、フィルムが来るのと同じ位置に置かれた、すりガラス——ピントグラス——の上に、上下左右が逆になって現れます。撮影者はそれを裏側から見て、構図とピントを決めます。
私が使っていたエボニーのピントグラスは、非常に明るく、抜けの良いものでした。記憶では、リンホフのオプションの明るいピントグラスよりも明るかったと思います。ピントグラスを手に持って裏側に指を当てると、指紋がはっきり透けて見えた。これは私の印象であって、透過率の数字ではありません。ただ、この明るさのおかげで、ピントのピークがよく見えました。ふつうなら冠布を頭からかぶって見るところを、エボニーではピントフードだけで、たいてい足りました。例外は、直射日光が真後ろからピントグラスに当たるときで、これは見えにくくなります。
ピント合わせは、絞りを開けたまま、裸眼でやっていました。最初からルーペを使わなかったわけではありません。アオリを使うときは、画面全体を見ながら決める必要があります。ルーペでは画面のごく一部しか見えません。だから最初のころは、裸眼で全体を見てアオリを決め、大事なところをルーペで確かめて、必要なら微調整する、という順でやっていました。ところが、ルーペで確かめても、意味のある微調整が必要になることがほとんどなかった。それで私は、最後のルーペ確認を日常的にはやらなくなりました。
これは、このカメラの、このピントグラスでの、私の経験です。取扱説明書の側は、隅までピントを追い込むためにルーペとフードを使うように書いています。ルーペが要らないという話ではありません。現像後の原版はライトボックスの上でルーペで見ていましたが、それは許容錯乱円の記事に書いたとおりで、撮影時のピント合わせとは別の場面です。
アオリは一つの問題を解き、別の問題を見せる——私の「アオリボケ」
アオリとは、レンズやフィルム面を傾けたり、ずらしたりする操作です。蛇腹のカメラを使う理由は、これでした。前の記事で、アオリを使ったときの「ピントのずれ」を私は「アオリボケ」と呼んでいた、と書きました。ここで、もう少し正確に書き直しておきます。私が呼んでいたのは、ピントが狂うことではなく、置いたピント面の外側がボケる、ということでした。
具体的な場面で言います。1 m ほど先の高山植物と、実質無限遠の槍ヶ岳を、両方ともシャープに写したい。ふつうの被写界深度で足りるなら、アオリは要りません。足りなければ、レンズを少し前に傾けて、ピントの合う面を寝かせます。そうすると、近くの足元から遠くの山まで、一枚の斜めの面を通せる。花も槍もシャープになります。
けれど、ピントの合う範囲は、その面の周りにしかありません。傾けた面の両側に、遠くへ行くほど広がる楔のような形で、深度が付いてきます。蛇腹のカメラの標準的な光学では、そう説明されます。そして実際の風景は、一枚の平面ではありません。花と槍を通る面から離れたところ——たとえば、中間にある谷——は、その楔の外に出ることがあります。そうなると、谷は、別のピント配置で撮ったときより甘くなり得ます。近くの花はシャープ、遠くの槍もシャープ、あいだの谷がボケる。私自身は、こういう状態を「アオリボケ」と呼んでいました。私の言葉であって、光学の用語ではありません。
図1:レンズを前に傾けて、近景の花と遠景の山を通るピント面を置いたときの概念図(側面)。ピントの合う範囲は、その面の両側に、遠くへ行くほど広がる楔のような形になる。中間の谷のように、その範囲から外れた部分は、別のピント配置のときより甘くなり得る(必ずではない)。私はこういう状態を「アオリボケ」と呼んでいたが、私の言葉であって、光学の用語ではない。角度や距離は実際の値ではない。
だから、アオリとピント合わせは、一回ずつ順にやって終わる作業ではありませんでした。アオリを掛ける、ピントを合わせる、画面全体を見る、アオリを少し直す、またピントを合わせる、また全体を見る。これを、納得できるまで繰り返します。ホースマンの取扱説明書にも、ティルトやスイングを前枠に移したあとは小さなピントの取り直しが必ず要る、と書いてあります。私の言い方をすれば、ピントグラスは、ピントを確かめる場所というより、アオリとピントを行き来させながら像を追い込んでいく画面でした。
ピントグラスの像は、そのままフィルムに写ったのか
ピントグラスで合わせた像は、そのままフィルムに写るのでしょうか。ここには、理屈の上の話と、私の経験の、二つの層があります。
理屈の上の話から。ピントグラスの位置と、フィルムの乳剤面の位置は、同じ部品で決まっているわけではありません。ピントグラスはカメラの後枠に付いていて、フィルムは、差し込んだホルダーやバックの中にあります。ピントグラスの位置、ホルダーが当たる面、その中のフィルムの位置、フィルムそのものの反り。これらは別々の量です。1980 年代のジナーの説明書は、ホルダーを奥まで差し込まないとピント誤差や光漏れが出る、と書いていますし、ホースマンの説明書は、後枠のバネの調整が緩むとピントグラスの位置がわずかに動き得る、と注意しています。つまりメーカー自身が、ピントグラスとフィルムの位置は管理すべきものだと考えていました。では、実際の誤差はどのくらいだったのか。当時の資料に、それを横断的に測った数字はありません。この記事でも数字は出しません。
次に、私がどう考えていたか。私のエボニーのボディと、ホースマンのロールフィルムバックは、別の会社の製品です。それぞれが図面と仕様に従って作られたものであって、この一台とこのバックを物理的に組み合わせて調整したものではありません。工業製品である以上、それぞれ許容公差の中で動いています。ですから、組み上がったシステム全体でピント面の誤差がゼロだ、と考えるのは無理があると私は思っていました。これは私の理屈であって、私のカメラの誤差を測った話ではありません。
最後に、私の経験。その理屈の上の心配が、実際の写真で問題になった記憶は、私にはありません。裸眼で合わせたピントを、現像後に原版のルーペで見ても、問題はなかった。これは「誤差がなかった」という証明ではなく、私の使い方では困らなかった、という一例です。ひとつ付け加えると、私は通常 f/22 で撮っていました。同じ位置のずれでも、絞り込むほどボケの直径は小さくなります。私の絞りが、結果として位置の誤差に対する余裕になっていた可能性はあります。可能性、までです。
迷光についても、ここで短く触れておきます。取扱説明書は、太陽や明るい空からの光がレンズに入ると、良いレンズでもコントラストと鮮鋭度が落ちる、として、フードやコンペンディウムを条件つきで勧めています。ハレ切りについては前の記事に書きました。蛇腹の内側の反射については、その影響を示した資料は見つかっていません。私は、蛇腹の襞の形が、レンズ側からフィルム側への直接の反射を起きにくくしているのだろう、と理解していました。それ以上のことは言えません。
私は、4×5 のシートフィルムをほとんど使っていなかった
ここで、読者の想像と違うかもしれないことを書いておきます。私は 4×5 のカメラを使っていましたが、4×5 のシートフィルムは、最初に数十枚撮っただけです。その後は、実質すべて 120 のロールフィルムで撮っていました。
35mm から大きいフォーマットへ移ろうとしたとき、私はこう考えました。645 を買って、物足りなくて 6×7 を買い、また物足りなくて 6×9、そして 4×5。そういう順路をたどりそうだ、と。それぞれのカメラシステムを順に買うより、先に 4×5 のボディを一台選んで、6×7、6×9、6×12 のロールフィルムバックを足すほうが、全体として安い。しかも、そのときの写真に必要な画質に応じて、フォーマットを選べる。理由はもう一つありました。山岳写真で 65mm を使うと、6×9 では、私が使わない空や前景がかなり入ります。6×12 なら、同じレンズで横に広い構図が取れて、その上下を避けられる。経済の理由と、画質の理由と、構図の理由は、それぞれ別です。私は、いつも最大の原版を狙っていたのではなく、選べるようにしていました。
だから、「4×5 フィルムは平らだったのか」という問いに、私は自分の経験で答えられません。ジナーの 1986 年の説明書がフィルムの乾燥や温度、引き蓋を抜いたあとの枠の叩き方まで書いていること、1988 年に出願され、1990 年に公開された特許がフィルムの反りを押さえる仕組みを扱っていること、精密ホルダーのカタログに誤差の数字が書かれていること。これらはシートフィルムの話で、当時のメーカーが平面性を管理すべき変数と見ていたことを示しています。数字は、その資料の中の主張であって、大判一般の実測値ではありません。ロールフィルムの平面性や、ロールフィルムバックの位置精度については、私は調べていません。分からないまま置いておきます。
ピントが合っていても、風は待ってくれない
取扱説明書は、ピントを合わせたらレールを固定すること、蛇腹を長く伸ばしたときは中間に支えを足すこと、レリーズケーブルを使うことを書いています。ここまでは、管理できる話です。
北アルプスの稜線では、私の記憶で 20 から 30 m/s の風の中で撮ることがありました。台風の中で写真を撮っているようなものです。カメラと三脚ごと吹き倒されることは、珍しくありませんでした。重石にしていたカメラバッグが、一度、谷へ飛んでいきました。蛇腹は凧のようにあおられ、三脚はビービーと音を立てて震えます。この状態では、レリーズケーブルは主な振動を解決しません。かといって、レンズのシャッターを直接押すのも危ない。風で手そのものが数 cm 動くので、シャッターを叩いて壊しかねません。
私がやっていたのは、体でカメラを包み込むように抱えて、システム全体を押さえつけながら、シャッターを切ることでした。それで止まるかどうかは、確率の問題です。だから何コマも撮る。当たりの確率を上げて、何コマかがブレずに済むことを期待する。運が良ければブレずに撮れる。それが、あの稜線での正直なところです。風が弱まるのを 5 分、10 分と待つことも、もちろんありました。
これは、私の条件の話です。あの風が大判撮影のふつうだったわけではありません。ただ、レンズが良く、ピントが合い、フィルムの位置が正しくても、カメラごと動いてしまえば像は残らない。そして、風のような条件は、手順や機材で消せるものではありませんでした。
いちばん厄介な部品は、私だった
風は外から来ます。でも、像がフィルムに届かない原因の多くは、外ではなく、私でした。
露出を間違える。レンズのシャッターを開けたままで引き蓋を抜いて、真っ白なコマを作る。引き蓋を抜き忘れて、真っ黒なコマを作る。ロールフィルムを巻き上げ忘れて、二重、三重に露光する。大判を使っていた人なら、たいてい心当たりのある失敗だと思います。誰でも一度はやる、お約束のような失敗です。統計の話ではなく、身内の言い方です。
こういう失敗をどうするか。私の最初の答えは、気を付ける、でした。
失敗を、仕組みの外に追い出す
けれど、気を付けるだけで済んだわけではありません。同じ失敗を繰り返しそうだと分かったとき、私は手順や機材のほうを変えました。失敗したら対策する。それだけです。
たとえば巻き上げ。私のルールは、シャッターを切ったら、すぐに巻き上げる、でした。次の撮影の直前に巻き上げる、ではありません。撮る準備をして巻き上げたあとで、やっぱり撮らない、となったとき、このフィルムが巻き上げ済みなのかどうかが曖昧になる。露光したら即巻き上げ、と決めておけば、フィルムの状態はいつも一つに決まります。
未使用のフィルムと撮影済みのフィルムは、別の袋に入れる。レンズキャップはどれも似ていて見分けがつかないので、テプラで焦点距離を貼って、バッグの中で即座に分かるようにする。フィルム交換の時間が取れそうにないときは、6×12 のバックを二台用意しておく。それぞれ 2 コマずつ撮れる状態にしておけば、フィルムを入れ直さずに計 4 コマまで続けて撮れて、間ができたときに二台とも入れ直せる。こういうことの一つひとつは小さな話ですが、共通しているのは、現場で毎回考え直さなくていいようにする、ということです。疲れていても、判断力が落ちていても、ミスしにくいように、判断をあらかじめ機材と手順の側に移しておく。
アニメや漫画でよくある台詞で言えば、「同じ手を二度も食らうと思うなよ」です。一度目は食らう。けれど次までに、何か手を打っておく。完全には防げなくても、無策で同じ目に遭うことはしない。私の撮影の仕組みは、だいたいそうやってできていきました。
茶道のようだ、と言われた
北アルプスの山小屋の近くで撮影していたときのことです。周りには人が多かったのですが、私はあまり気にせず、いつもどおりに撮っていました。カメラを片付けて小屋に入ろうとしたとき、一人の女性が近づいてきました。
ご主人も同じような蛇腹のカメラで、近くで撮影しているのだそうです。彼女は、私の撮影の様子を見ていました。そして、ご主人の撮り方とはずいぶん違う、と言いました。彼女は茶道をしていて、私の撮影を見ていると茶道を思い出したのだそうです。動作が滑らかで、迷いが見えなくて、次に何をするかがもう決まっているように見える。茶道には決まった順序があるから、覚えれば順序どおりにできる。写真は状況が変わるから違うはずなのに、そう見えた。ご主人は、もっと慌ただしく撮っている。そういう意味のことを言われました。
私はそのとき、そう見えるのか、と思っただけでした。いま振り返ると、外から型のように見えたものは、私が考えなくて済むように、判断を手順と機材の側へ移していった結果だったのだと思います。彼女がそう言ったのではありません。私の読みです。彼女が見ていたのは私の動きであって、写真の出来ではありません。
レンズだけではなかった——では、何が
大判の高画質を支えていたのは、レンズだけだったのか。レンズは、大いに関係がありました。前の記事に書いたとおり、イメージサークルにも、解像力にも、色にも、レンズが作れる像の質は懸かっていました。けれど、レンズがしたのは、像を作ることまでです。
その像がフィルムに残るまでには、ピントグラスで像を見ること、アオリとピントを行き来させて面を置くこと、ピントグラスとフィルムの位置が同じであるという保証がないこと、フィルムの平面、三脚と風、そして引き蓋を抜いて巻き上げる私自身がありました。1980 年代のメーカーの資料は、その一つひとつを管理すべきものとして書いています。どれがどれだけ画質を削ったかは、資料からは分かりません。私の場合、繰り返す失敗は、手順と機材の側へ追い出していきました。
同時に、消えなかったものもあります。稜線の風は残りました。ボディとバックの公差は、ゼロにはなりません。私は、その後も失敗をしました。だから、高画質の写真は、どれか一つの部品が完璧だったから撮れたのではありません。レンズから私までの経路の全部が、その一枚については十分に働いたときに、撮れたものです。
像がフィルムに残ったあと、その原版がどこへ行き、写真はどこで完成していたのかは、次の記事に書きました。
では、2026 年の高画素のカメラでは、この経路のどこが消えて、どこが残っているのか。ピントグラスもホルダーも引き蓋もないカメラで、像がセンサーに残るまでに何があるのか。それは、あとの記事で書きます。
ここから先は、もう少し詳しく知りたい人へ
この記事で必要な結論は、ここまでで完結しています。ここから先は、本文で短く済ませたところの根拠と、分かっていないことを、もう少し細かく見たい人への補足です。新しい主張はありません。
ピントグラスとフィルム面のあいだにある部品
本文で「別々の量」と書いたものを、順に並べます。レンズを載せた前枠、レールや蛇腹、後枠、ピントグラス、ホルダーやバックが当たる面、その中の乳剤面、そしてフィルムそのものの局所的な反り。この連載の調査では、これを一つの積み重ねとして扱い、ピントグラスの位置と乳剤面の位置を同じ量とは見なさない、という約束にしています。ジナーの 1986 年の説明書、ホースマン L シリーズの説明書、リンホフのマスターテヒニカの説明書、トヨフィールドの説明書が、ホルダーの装着、後枠のバネ、レールの固定、長い蛇腹の支持を、それぞれ管理項目として書いています。ホースマンとリンホフとトヨの説明書は発行年が確認できていません。
同じずれでも、絞りでボケの大きさは変わる
像面が Δz だけずれたとき、ボケの直径はおよそ Δz を絞り値で割ったものになります。近軸の幾何の近似で、測定値ではありません。ジナーの精密ホルダーのカタログ(発行年不明)には ±0.03 mm、従来型のホルダーは 0.3 mm 以上になり得る、という主張があり、トヨの説明書には 0.003 インチ(約 0.076 mm)という値があります。どれもメーカーの主張であって、試験条件は分かりませんし、大判一般の代表値でもありません。仮にその 0.3 mm を純粋な光軸方向のずれとして置くと、f/8 なら約 0.04 mm、f/22 なら約 0.014 mm のボケ直径になります。ジナーが 4×5 の許容錯乱円としていた 0.1 mm と比べるための例であって、私のカメラの話ではありません。
傾けたピント面と、楔の形の深度
レンズを傾けたとき、ピントの合う面がどこに来るかは、シャインプルーフの原理と、それに対になる規則で決まります。傾けた量で回転の軸(ヒンジ線)の位置が決まり、ピントの繰り出しで、面がその軸を中心に回る。ピントの合う範囲は、その面の両側に、フィルム面と平行に測って距離に比例して広がります。本文の「楔」は、この形のことです。この説明は、ハロルド・マークリンガーがウェブで公開している技術解説(Focusing the View Camera の著者による解説ページ、2026 年閲覧)に拠っています。同氏の書籍本体は、この記事の調査では読んでいません。数値の例は、この記事の場面には当てはめていません。
シートフィルムの平面性を、資料はどう扱ったか
ジナーの 1986 年の説明書は、ホルダーを奥まで差すこと、フィルムを乾いた状態で保つこと、温度の急変を避けること、引き蓋を抜いたあとに枠を軽く叩いてフィルムの張りを逃がすことを書いています。ジナーの 1988 年優先・1990 年公開の特許は、シートフィルムのカセットの中で、フィルムの縁を先に固定してから露光面を平らに押さえる仕組みを扱っています。ISO 1012(1991 年版と 1998 年版)は、シートフィルムの寸法を定めるもので、装填したフィルムの平面性やホルダーの深さは定めていません。ロールフィルムのバックについては、この記事の調査の範囲に入っていません。
蛇腹の内側の反射について
本文で三つに分けたことを、もう一度書いておきます。取扱説明書が勧めているのは、外から入る光をフードやコンペンディウムで切ることです。蛇腹の襞の形そのものが内側の反射を減らす、という設計上の説明は、今回の調査では一次資料が見つかっていません。私が「襞の形が反射を起きにくくしているのだろう」と理解していたのは、私の理解です。蛇腹の内側の反射が実際の写真にどれだけ影響したかは、分かっていません。
分かっていないこと
この記事で、分からないこととして扱ったものをまとめておきます。当時のカメラで、ピントグラスと乳剤面の位置が実際にどのくらいずれていたか。ロールフィルムバックのフィルムの平面性と位置精度。蛇腹の内側の反射の影響。風や振動が像をどれだけ動かしたか。私が記憶している 20 から 30 m/s という風速が、その日その場所で正確にどうだったか。エボニーのピントグラスの仕様。私が「アオリボケ」と呼んでいた状態が、具体的な一枚でどう写っていたか。そして、当時の写真家が、資料に書かれた手順をどれだけ守っていたか。
この記事の範囲
この記事の資料は、メーカーの取扱説明書とカタログと特許の言葉であって、測定値ではありません。私の経験は、日本の山岳写真の、一人の、主にロールフィルムを使った経験です。資料が管理項目として書いたことを、私の経験で「実際はこうだった」と言い換えることはできませんし、私の経験を資料で否定することもできません。どちらも、それぞれの層の話として、そのまま置いてあります。