🇺🇸 This site is also available in English — View English page →
S
Sidekick Lab
by Ichiro Murata

道具を作るということ 前編

撮るための道具は、自分で作ればいい

――写真家になる前から、私は妙なものを作っていた

PC-8001mkIIとカセットテープから、大学での研究、会社員時代の測定治具、デジタルカメラの外部電源まで。必要な道具が売っていなければ作る、ということをずっと続けてきた話。

村田一朗|写真家・Sidekick開発者

「必要な道具が売っていなかったら、どうするか?」

いまなら、まずAmazonで検索するでしょう。なければGoogleで探す。それでもなければ、海外のサイトまで探すかもしれません。

それでも見つからなかったら、諦める。

普通はそんな順番なのかもしれません。

私の場合は、昔から少し違っていたようです。

売っているものが使えるなら、それを使う。

別の用途のものが使えるなら、それでもいい。

それでもなければ、作ってしまう。

ただ、最初からそんなことを意識していたわけではありません。

振り返ってみると、そういうことをずっとやっていました。

PC-8001mkIIとカセットテープ

大学生の頃、NECのPC-8001mkIIを使っていました。

当時のパソコンは、今とはまるで違います。

データを保存するのにもカセットテープを使いました。

純正のカセットレコーダーもあって、当然ながらパソコンで使うために最適化されている、とカタログには書いてあったと思います。

でも私は、それを使いませんでした。

当時はオーディオマニアでもあったので、家にはもっとちゃんとしたカセットデッキがありました。

「これでいいんじゃない?」

パソコン用ではない普通のオーディオ用カセットデッキをつないで使っていました。

別に困りませんでした。ノートラブルです。

デジタル録音も似たようなものでした。

DATが登場する前、デジタルで音楽を録音しようとすると、PCMプロセッサーとVTRを組み合わせる方法がありました。

私はオーディオも好きでしたが、アニメも好きでした。

ソニーのF11というVTRを使って、デジタル録音をしていました。

当時としては特別に変わった使い方ではありません。

でも、今から考えると妙な話です。

音楽をデジタル録音するために、ビデオの映像信号として記録していた。

目的を達成できるなら、本来何に使う機械なのかは、あまり重要ではなかったのでしょう。

最初に作ったソフトは、たぶんワープロだった

PC-8001mkIIでは、自分でもプログラムを書きました。

最初に作ったものは何だったのか。

40年以上前なので、もうはっきりとは覚えていません。

たぶん、ワープロのようなものだったと思います。

立派な文書を作りたかったわけではありません。

カセットテープの曲目リストを作りたかった。

それだけです。

市販のワープロソフトもあったのだと思います。でも、自分がやりたいことのために買うには高かったのでしょう。

安価なソフトを2本か3本手に入れて、それぞれのプログラムを参考にしながら、自分が必要なものを組んだ記憶があります。

その後は、音楽の曲を管理するデータベースのようなものも作りました。

ボードゲームで使う判定表のようなものも作りました。

プログラミングそのものを極めようと思っていたわけではありません。

欲しい結果があって、それを得るためにプログラムを書いていた。

たぶん、その頃からです。

「村田だけ、全く違う」

東海大学海洋学部では、3年生の頃だったと思いますが、福島甫先生の講義を受けていました。

プログラミングの授業で、言語はFORTRANだったと思います。

あるとき、

「プログラムを組んで来い」

という課題が出ました。

私は自分で考えてプログラムを書いて提出しました。

後になって、福島先生からそのプログラムについて言われたことがあります。

40年以上前のことなので正確な言葉ではありませんが、こんな趣旨でした。

「へんてこりんなコードだった。最初に見たときは、とても動くとは思えなかった。見たことのないコードだった。でも、ちゃんと動くし、よく見ると理屈も合っている。他の学生は、友達のを見せてもらったのかどうかは分からないけれど、だいたい同じような書き方をしている。村田だけ全く違う。少なくとも村田が全部自分で考えたことだけは間違いないね」

褒められたのかどうかは、よく分かりません。

ただ、福島先生は、

「みんなと違う」こと自体を間違いとはしませんでした。

ちゃんと動くのか。

ロジックが成立しているのか。

そこを見ていたのだと思います。

子供の頃の私は、日本で、

「どうして、あなたはみんなと同じようにできないの」

と叱られることがよくありました。

父のニューヨーク勤務に伴って、小学5年生から中学1年生までアメリカで暮らしたときには、反対の経験もしました。

あるとき現地の子に、

「イチローは土曜日、何をしているの?」

と聞かれました。

私は「みんなと同じだよ」というような答えをしました。

すると、

「そんなわけないだろう」

と言われました。

その家では日曜日には家族で教会へ行く。でも日本人の家庭なら違うだろう。だから、イチローの家ではどうしているのかを聞いているんだ、と。

「みんなと同じ」が答えにならない。

そんな世界もあるのだと知りました。

これらの経験が、その後の私を作った――とまで言うつもりはありません。

ただ振り返ると、私は昔から「普通はどうするのか」より、

「これでちゃんと動くのか」

の方を気にしていたのかもしれません。

東京大学生産技術研究所へ

大学4年になる頃、私は東京大学生産技術研究所の高木幹雄先生の研究室で研究することになりました。

東海大学から外部研究生のような形で送り出された、と記憶しています。

なぜ私だったのかは、今でもよく分かりません。

少なくとも、成績優秀者として選ばれたわけではありません。

この話を福島先生から聞いたとき、

「そういえば村田君、必須科目で落としたりしているのはない? 成績、大丈夫?」

と確認されたことを覚えています。

選ぶ前に成績を吟味していた人の質問には、あまり聞こえません。

高木研究室で取り組んだのは、NOAA衛星画像を使った海面水塊の移動追跡でした。

そして高木先生から聞いた言葉で、今でも覚えているものがあります。

正確な引用ではありませんが、

自動化できるものはコンピューターにやらせるべきだ。人間の頭はクリエイティブなことをするためにある。雑用をするためにあるわけではない。

という趣旨の話です。

当時の研究そのものも、人間が行っていた処理をどうやってコンピューターにやらせるか、という方向を含んでいました。

その言葉が、その後の私を決定した――などと言うと、話がきれいすぎます。

私はそんなことを考えながら人生を歩いてきたわけではありません。

ただ、40年後の今、自分が作ってきたものを並べてみると、

「ずいぶん、その通りのことをやってきたな」

とは思います。

「測れないなら、測れるようにすればいい」

大学を卒業した後は、回路設計の仕事に就きました。

アナログとデジタルが混在するLSIの企画から設計、立ち上げ、量産まで関わる仕事です。

テレビの同期信号に関わる回路を担当したことがあります。

回路を設計して、シミュレーションする。

そこまではいい。

問題は、実際に出来上がった回路です。

マスタークロックに対して信号がどの位置に出ているのか。

1/60秒ほどの時間の中で、1マイクロ秒単位の位置関係を確認したい。

ところが実機で使えるのはオシロスコープです。

波形を見れば、

「たぶん、この辺」

までは分かります。

でも、私が知りたいのは「たぶん」ではありませんでした。

高価な測定器を買えば解決する、という問題でもありませんでした。少なくとも当時、自分が必要としていた測定をそのままできるものを見つけられませんでした。

だったら、

測れるものを作ればいい。

外から基準となるクロックとリセット信号を入れ、カウンターでタイミングを追えるようにする。

専用の測定治具を作りました。

一か月くらいかけたと思います。

仕事が比較的暇な時期だったこともあり、上司も理解してくれました。

それによって、それまで「たぶん合っている」としか言えなかったものを、数字で確認できるようになりました。

写真とはまったく関係のない仕事です。

でも今になって考えると、

「測れないなら、測れる状態を作る」

という考え方は、今もあまり変わっていないような気がします。

3bitで作ったら、「2bitにしろ」と言われた

会社員時代には、逆の経験もしました。

I²C-BUSでICを制御する回路を設計していたときのことです。

3つの機能を割り当てる必要がありました。

それぞれ別の機能だったので、私は3bitを使って設計しました。

ところが設計会議で、

「3bit使う意味がない。2bitなら4通り表せるんだから、2bitにしろ」

と言われました。

私は3bitの方がいいと思っていましたが、仕方ありません。

2bitへ変更しました。

やがてICが出来上がり、リリースのための会議が開かれました。

すると、さらに上の人から、

「なんでここは2bitなんだ! どうして3bitにしなかった!」

と怒られました。

2bitへの変更を求めた人が何時間も説明していました。

途中で、私に助け舟を求めてきました。

でも、

「最初から3bitにすべきですって、私、言いましたよね?」

としか言いようがありません。

仕様を満たしていることと、自然な設計であることは、必ずしも同じではありません。

これも後になって分かった話ではなく、その場で十分分かっていたのですが、会社というのは、自分一人で作っているわけではありません。

そういうものです。

写真をデジタルで撮るようになった

やがて私は、写真をデジタルカメラで撮るようになります。

Nikon D1の時代です。

初期のデジタル一眼レフには、今では考えにくい問題もありました。

その一つがバッテリーでした。

特に冬山では厳しい。

ひどい条件では、満充電した純正バッテリーでも数枚撮っただけで使えなくなったことがあります。

しかも純正バッテリーは安くありません。

当時、D1を使っていたプロの間では、バッテリーのケースや端子を利用して、外部のバッテリーから電源を取るような工夫も行われていました。

私も作りました。

最初はラジコン用のバッテリーなどを利用しました。

後にはエネループを直列にし、それをさらに並列化した電源も作りました。

ずっと後になると、PD対応のモバイルバッテリーとトリガーケーブルを使うようになります。

電池は変わりました。

カメラも変わりました。

でも、やっていることは同じです。

撮りたい時間だけカメラが動かないなら、動くようにする。

それだけです。

D1を買った写真家の友人から、

「村田さんと同じD1を買いました。でもバッテリー、村田さんの言う通りですね」

と言われたことがあります。

後日、自分が作った外部バッテリーをワンセット作ってプレゼントしました。

喜んでもらえました。

自分が困って作ったものが、他の人の問題も解決する。

考えてみれば、そういう経験もこの頃からありました。

もちろん、壊すこともある

こう書くと、何でもうまく作ってきたように見えるかもしれません。

そんなことはありません。

ずっと後のことですが、普及価格帯のLUMIXで外部電源を作ったことがあります。

ボディそのものを改造したわけではありません。

バッテリー側を加工して外部から電源を入れる仕組みです。

そこで、

+と-を間違えました。

一瞬でした。

買ったばかりのカメラが壊れました。

「あ……」

とは思ったでしょう。

でも、

まあ、仕方がない。そういうものです。

自分で何かを作っていれば、失敗することもあります。

作りかけて完成しなかったプログラムも、たぶん相当あります。

書いたけれど使いものにならなかったコードなら、いくらでもあります。

現場で使っていた道具も壊れます。

時代が変われば、以前の方法が割に合わなくなることもあります。

そうしたら、また作り直せばいい。

「燕」は誰も買わないと思っていた

2000年代には、写真のためのソフトも作るようになりました。

「燕」、そして「北燕」です。

これらは自分だけで使うプログラムではなく、有料のシェアウェアとして公開しました。

でも最初は、

誰も買わないだろう

と思っていました。

どこの誰だか分からない人間が作ったソフトです。

しかも当時は、今ほどデジタルカメラを使っている人が多かったわけでもありません。

ところが、意外にも買ってくれる人がいました。

そしてメールが来ます。

「ここが使いづらいんだけど……」

なるほど。

自分では普通に使えていても、他の人が使えば問題が出てくる。

直せるものは直しました。

自分のために作るものと、人に使ってもらうものは違う。

そんな当たり前のことも、この頃には経験するようになりました。

道具を作ることが目的ではない

こうして昔のことを並べてみると、私はずっと「自作が好きな人」だったようにも見えます。

でも、自分では少し違うと思っています。

作らなくて済むなら、作る必要はありません。

市販品で済むなら買えばいい。

別用途のものを流用できるなら、それでもいい。

それで目的を達成できなければ、作る。

そして一度作ったからといって、それに固執する必要もありません。

壊れたら直す。

直すのが割に合わなければ、もっと簡単なものを作る。

時代が変われば、別の方法にする。

私にとって重要なのは、

「何を使ったか」ではなく、「それで撮れるかどうか」

だったのだと思います。

そして、この先もう一つ分かってくることがあります。

作れるからといって、作ればいいわけではない。

自動化できるからといって、自動化すればいいわけでもない。

そのことに気づくまでには、もう少し時間がかかりました。

――つづく

この話の続き いい道具は、だんだん簡単になる →

この話につながる現在のSidekick