上野の美術館と、解説のない体験
子供の頃、両親は画家を目指していた。 戦後の日本でその道を諦めた二人は、美術館へ行くことだけはやめなかった。
私は上野の美術館へ何度も連れて行かれた。 正直に言えば、当時は退屈だった。覚えているのは入場待ちの長い列ばかりだ。
ただ、不思議なことに、作品について説明された記憶がない。
「これはこういう絵だ」
「こう見るべきだ」
そう教えられたことがない。ただ、本物だけを見続けた。
だから今でも私は、作品を見る前に解説を読むより、 まず見て、面白いと思うかどうかを大切にしている。 「この作品は何を意味しているんだろう」より「なんか好き」が先に来る。
発見する写真
私の写真の多くは、何かを表現しようとして作ったものではない。
制作の順序が、 「意味 → 制作」ではなく「発見 → 感動 → 作品」 なのだ。
言語化が苦手なのは能力の問題ではなく、そもそもプロセスが違うから。 世界の中に隠れているものを探している感覚に近い。
東京大学生産技術研究所での経験
東海大学海洋学部在学中、外部研究生として 東京大学生産技術研究所・高木幹雄研究室に参加する機会を得た。 1985年前後のことだ。
テーマは気象衛星NOAAの熱赤外画像処理。 海面温度の分布から温水塊の動きを抽出し、エルニーニョ現象の兆候を探る研究だ。
この研究室の文化は、伝統的な大学の「理論 → 応用」とは少し違った。 とにかく作る。とにかく試す。現象を見る。後から理屈を考える。
時間差のある2枚の衛星画像からブロックマッチングで動ベクトルを推定し、 温水塊の移動方向と速度をベクトル場で可視化する。 その結果として1986年、テレビジョン学会で発表した。
この経験が今の画像処理への興味の原点にある。 衛星から届いたデータの中に、目に見えない海の動きを「発見」する作業は、 写真の中に隠れた形を探す感覚と、どこかで繋がっている。
Sidekickも同じ発想だった
写真を続ける中で、何千枚もの星景写真を前に同じ作業を繰り返していた。 飛行機が写り込んだコマを一枚一枚確認して除外する。同じ空を何度も調整する。
だったら機械に任せればいい。
そう考えて、自分のためにPhotoshopのスクリプトを書き始めた。 Sidekickは商品として生まれたのではない。 撮影や現像の中で見つけた問題を解決するために生まれた。
私にとって写真もツール開発も、どちらも「発見」の延長線上にある。
上野の美術館で解説なしに本物を見続けた子供は、 今も世界の中に何が隠れているかを探しながら、シャッターを切り、コードを書いている。